超高層ビルの元祖・東京海上日動ビル解体へ 戦後の都市開発に一石
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国内有数のオフィス街、東京都千代田区丸の内に1974年、初めて建った超高層ビル「東京海上日動ビル」が建て替えのため解体されることになった。モダニズム建築の巨匠、前川国男(05~86年)の代表作でもあるこのビルは、60年代には都市の「美観論争」を巻き起こし、高度経済成長期における街づくりに一石を投じたことでも知られる。戦後の都市開発の歴史を伝える貴重な建築として保存を求める声が上がっている。
建築基準法改正を機に高層建築を計画
温かみのある赤茶色のタイルが全面に張られた地上25階、地下5階、高さ約100メートルのビルは、東京駅から皇居へと延びる行幸(ぎょうこう)通りのお堀ばたに建ち、ガラスや金属パネルで覆われたモノトーンのビル群の中でひときわ異彩を放っている。
東京海上ホールディングスなどによると、災害や新しい働き方に対応するため、86年に完成した隣接の新館と一体で建て替えを予定しているという。2023年度の解体工事着工、28年度の新ビル完成を目指すとし、新ビルには同ホールディングスのほか、グループ会社が入居する。
東京海上(当時)の社報などによると、同社は63年の建築基準法改正を機に、超高層ビルの建設を計画。法改正でそれまで31メートルとされた建物の高さ制限が撤廃され、敷地面積に対する延べ床面積の割合を示す容積率制が導入されたためだ。国内初の超高層ビルとして知られる「霞が関ビル」(同区、高さ147メートル)の建設が始まったのも65年。都市に高層建築が建ち始めようとする時代だった。
美観論争巻き起こす
同社はこの構想を元に前川に設計を依頼。しかし、地上30階、地下5階、高さ約130メートルの当初計画は大論争を呼んだ。今でこそ…
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