戦後も続いた精神障害者の私宅監置 沖縄の闇の歴史、映画が迫る

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東京から医療支援のために派遣された精神科医、岡庭武さんが1964年に撮影した写真。映画製作のきっかけとなった=原義和さん提供 拡大
東京から医療支援のために派遣された精神科医、岡庭武さんが1964年に撮影した写真。映画製作のきっかけとなった=原義和さん提供

 かつて日本では精神障害のある人を小屋などに隔離する「私宅監置」が法律で認められていた。本土では1950年に禁止されたが、沖縄では本土復帰する1972年まで続いた。多くの精神障害者が長年治療も受けられず、非人道的な環境に置かれた闇の歴史。その実態を独自の調査で明らかにしたドキュメンタリー映画「夜明け前のうた 消された沖縄の障害者」(原義和監督)が、各地で上映されている。闇の歴史と向き合うことで見えてくるものとは――。【上東麻子/デジタル報道センター】

米軍統治、本土復帰まで続く

 私宅監置は、1900年に施行された精神病者監護法に基づく精神障害者の隔離措置。屋外に建てられた木造やコンクリート製の狭い「監置小屋」などに精神疾患のある人たちを警察を経て「地方長官」に届け出た上で、閉じ込めていた。精神障害者への偏見が今よりも強い時代、いわば「座敷牢」を合法化したものといわれる。

 旧厚生省の「衛生年報」などによると1905~41年に私宅監置された人の数は毎年約2800~約6900人。日本の近代精神病学の創立者と呼ばれる精神科医の呉秀三が実態調査を行い、非人道的な扱いについて著書の中で「我が邦(くに)十何万の精神病者は実にこの病(やまい)を受けたるの不幸の外(ほか)に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものと云(い)ふべし」と記述したことは有名だ。呉は私宅監置の廃止を強く求め、精神障害者を入院治療させることを主張した。

 戦後の1950年、精神病者監護法は廃止となり、精神障害者の私宅監置も禁止され、都道府県に公立の精神病院の設置が義務づけられた。しかし、米軍による統治が続いた沖縄では、精神科医療施設の不足を背景に、60年にできた琉球精神衛生法でも私宅監置は認められ、本土復帰するまで続いた。

沖縄北部に今も残る、私宅監置小屋の跡=原義和さん提供 拡大
沖縄北部に今も残る、私宅監置小屋の跡=原義和さん提供

 66年には、国立精神衛生研究所(当時)が沖縄の調査を行った。ある患者は足に鎖を付けられ、柱につながれていた。食事を入れる穴があるだけでトイレもなく、外からは施錠され、腐敗臭が漂っていたという。しかし、家族や周囲の人たちは口を閉ざし、その実態が広く知られることはなかった。

「帰れ」複雑な家族の感情

 映画を撮影したのは、沖縄を拠点にするフリーのテレビディレクター、原義和さん(51)。従軍慰安婦問題や精神医療をテーマにしたドキュメンタリーで数々の受賞歴がある。

 きっかけは10年前、私宅監置された人々を撮影した数十枚の古いポジフィルムに出合ったことだ。テレビ番組の取材のために訪れた元琉球大教授の吉川武彦さん(故人)が保管していた。写真は64年に日本政府が沖縄に派遣した精神科医が撮影したもの。粗末な監置小屋の格子越しにこちらを見据える男性の鋭い眼光。「あなたはなぜ私を見ているのか」と問いかけられたように感じた。

 吉川さんは写真の意義を認めつつも「こんなもの、外へ出すわけにはいきませんから」と話していたという。その後、吉川さんが亡くなり、貴重な写真の写しが原さんの手元に残された。「この人たちに会い、伏せられてきた歴史を、世に問うべきではないか」と調査を始めた。

 だが、取材は困難を極めた。写真の脇に書き込まれた名前と集落の名前を手掛かりに一人ずつ訪ね歩き、保健所や警察署に勤めていた人を探し出して聞き込みを重ねたが、当事者はなかなか見つからない。ようやく家族にたどりついても、「帰れ」と言われ協力を得られなかったり、反感を持たれたりした。

 たった一人だけ、私宅監置から精神科病院に移り長年入院していた当事者の女性に会うことができたが、家族は若い世代の親戚には彼女の存在すら知らせておらず、今も「消された存在」だった。「私宅監置は、誰かを犠牲にすることで地域の安寧を守ってきたシステムです。家族感情は複雑で、負い目を負わされている」と原さんは話す。そして「だからこそ」と力を込めた。

映画「夜明け前のうた 消された沖縄の障害者」の原義和監督=東京都新宿区で2021年4月12日、上東麻子撮影 拡大
映画「夜明け前のうた 消された沖縄の障害者」の原義和監督=東京都新宿区で2021年4月12日、上東麻子撮影

 「家族の中には『名前なんか出してもらっちゃ困る』という人も少なくない。しかし、そうやって行政も周りも、家族に従った結果、病気の当事者に犠牲を強い、事実が伏せられてきました。差別や偏見があるからです。隔離の事実は、家族の恥ではなく、社会の恥なのです。社会が検証や謝罪をしていないから、家族も事実を明らかにされるとはずかしめられたと感じてしまう。だからこそ、隠すのではなく世に問いたい」

 映画製作と並行して写真展なども開催する度、親族から苦情や疑問の声が寄せられたが、そのたびに原さんは足を運び、こう理解を求めてきた。

今も続く精神科病院の長期入院

 映画では、沖縄の特殊性も浮き彫りにされている。66年の実態調査では、沖縄の精神疾患の有病率の高さは日本本土に比べ約2倍で、沖縄戦当時、子どもだった世代で多いと指摘された。原さんは、国家が近代化する過程では生産性が重視され、生産性のない人間は排除されていく構造に私宅監置や沖縄の問題を重ねる。

 「西欧が植民地を収奪することで発展したように、日本の明治政府も琉球王国を併合した。それなのに、戦後は復興のために貧しい沖縄は“お荷物”のように切り捨てられたのです。都合のいい時は収奪し、荷物になると切り捨てる。そうしたことを日本という国は沖縄に対しても、人間に対してもやってきたのではないか」

 私宅監置の問題は決して過去の話ではない。日本の精神科の平均入院日数は285日で、韓国124・9日、イギリス42・3日、フランス5・8日(いずれも2014年)に比べても突出している。精神障害者の長期入院の背景には、地域の受け皿不足で退院できない「社会的入院」があると指摘されている。

映画「夜明け前のうた 消された沖縄の障害者」ポスター 拡大
映画「夜明け前のうた 消された沖縄の障害者」ポスター

 カメラは、今も残る暗くて狭い私宅監置小屋の中に入り込み、関係者の証言を丁寧に拾っている。つらい過去を明らかにしながらも、沖縄の青い海のさざ波や鮮やかな景色、そして美しい歌声とともに、なぜか人間のあたたかさ、美しさを感じる映像でもある。そこにはひたすら当事者の思いに寄り添おうとする原さんの優しさがにじむ。

 「この映画は隔離の犠牲を置き去りにし、とてつもない人権侵害を放置している日本社会への、私なりの抵抗です。同時に伝えたいのは、どんな人生を生きようと変わらない一人一人の命の輝きなのです」

 原さんが映画を製作するきっかけとなった私宅監置の写真は、東京オリンピックが開かれた1964年に撮影されていた。本土はアジア初の五輪に浮かれ、復帰前の沖縄では多くの人がひっそりと「座敷牢」で過ごしていた。くしくも再び東京五輪に注目が集まった2021年、沖縄から映画として送り出された。

 映画「夜明け前のうた 消された沖縄の障害者」は全国の映画館で上映。スケジュールなどは公式ホームページ(https://yoake-uta.com/

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