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コロナ下の自由と安全 民主社会の力を示したい

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 目に見えない新型コロナウイルスが世界を覆い、社会と暮らしを激変させた。人類がかつて経験したことのない危機だ。

 日本は緊急事態宣言が東京都や大阪府などに発令される中、憲法記念日を迎えた。昨年に続く「コロナ下の記念日」である。

 医療現場で懸命の治療が続く。マスク着用や外出自粛、他人と距離を取ることが新日常となった。

 それでも感染拡大は収まらない。世界の50人に1人が感染し、310万人が命を落とした。日本では1万人以上が亡くなった。

 政治体制や地域を問わず各国がコロナの脅威にさらされている。

 とりわけ民主社会は重大な試練に直面する。問われているのは、市民に保障された「自由」と、人命を守る「安全」のバランスをどう取るか、という難題だ。

憲法で保障される権利

 本来、「自由」を重視するはずの欧米諸国で「安全」が優先され、都市封鎖(ロックダウン)の強制措置が取られた。

 英経済誌エコノミストの調査部門が発表する「民主主義指数」によると、日欧などの民主的な23カ国・地域中19カ国が昨年、「市民の自由」の評価で点数を下げた。

 イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベン氏はコロナ禍で「『セキュリティー上の理由』のために自由を犠牲にした社会」になっていると警鐘を鳴らす。

 日本はどうか。政府の対応は後手に回り、医療体制は危機的な状況にある。ワクチンが行き渡るめどが立たない中、緊急事態宣言の3度目の発令に追い込まれた。

 コロナ対策を突き詰めれば、憲法問題に行き当たる。

 憲法は、国民の「生命、自由及び幸福追求」の権利について「最大の尊重」を国に求めている。だが、過去1年間、憲法が保障する権利という視点でのコロナ対策の議論は不十分だった。

 事業者への休業要請・命令は「財産権」の侵害に当たり、補償の対象ではないか。営業時間短縮は「営業の自由」に抵触しないか。立場の弱い人の「生存権」が脅かされていないか-―。こうした論点は置き去りにされた。

 コロナ下、国民の権利を制限する緊急事態条項を憲法に新設すべきだとの声が出ている。だが、感染対策という「公共の福祉」のためであっても権利の制限は最小限にとどめなければならない。

 コロナ対策の特別措置法も問題が多い。緊急事態宣言は国会への報告だけで発令でき、承認は必要ない。国民や事業者への協力要請は政令によって「何でもできる」状態になっている。

 感染状況が比較的落ち着いていた昨夏、時間があったにもかかわらず、政府と国会は特措法の不備を修正することを怠った。結局、特措法は感染第3波のさなかに、わずか4日間の審議で罰則付きに改正されてしまった。

 対策が自粛要請主体となったため、国民が損害賠償を求める「司法による救済」の道も狭まった。フランスでは昨年、840件のコロナ関連訴訟が行政最高裁で審理されたが、日本では数少ない。

 感染対策に国民の理解を得る上で必要なのは政治への信頼と、公平性と透明性の確保である。罰則の恣意(しい)的な適用は控え、政府と自治体は政策の決定過程をオープンにしなければならない。

市民参加で両立の道を

 憲法学が専門の棟居快行(むねすえとしゆき)・専修大学教授は「自由と安全を両立させる必要がある。安全を口実に国家が個人に介入し、内閣の勝手にさせないよう、国会が縛っていくことが大事だ」と指摘する。

 民主社会を成熟させるには、国会による行政監視だけでなく、市民の取り組みが欠かせない。

 ドイツ出身の社会心理学者、エーリッヒ・フロムはナチズムに服従した人間心理を分析した「自由からの逃走」で、個人の自発的な社会・政治参加によってこそ自由が実現できると説いた。

 参考になるのは、コロナ封じ込めに成功した台湾のケースだ。市民のアイデアを政策に反映する「オープンガバメント」(開放的な政府)の取り組みが進む。

 「政府が命令するわけではなく、市民が主体的に対策に関わったことが、感染の拡大防止につながった」。デジタル担当相の唐鳳(オードリー・タン)氏は語る。

 「自由か、安全か」の二者択一でなく、「自由も、安全も」を追求する世界をいかに実現するか。民主社会の力が試されている。

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