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毎日新聞朝刊1面の看板コラム「余録」。▲で段落を区切り、日々の出来事・ニュースを多彩に切り取ります。

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空襲警報が発令されても公演は中止しない…

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 空襲警報が発令されても公演は中止しない。観客も芝居を見に行く。英劇作家ロナルド・ハーウッドの「ドレッサー」は、第二次大戦中の1942年、イングランド地方の劇場の楽屋を舞台に芝居にとりつかれた人々を描く傑作だ▲主演俳優の座長は年老いて、「リア王」のせりふもおぼつかない。若く健康な俳優は兵隊に取られ、おしろいも満足にない。ドレッサーすなわち衣装係兼付き人は座長を鼓舞し、なんとか幕を開けようとする▲映画化され、日本でもたびたび上演される。だが2月末、コロナによる緊急事態宣言の間隙(かんげき)を縫うように行われた加藤健一事務所公演は、ちょっと違った。芝居と現実が重なったのだ。劇中のカーテンコールで座長が語る言葉が耳に残る▲「われわれは危険な時代に生きています。われわれの文明は暗黒の力の脅威にさらされています」。戦時下でも町から町へ巡業を続け、文化を維持する。楽屋にはそんな演劇人の想念が染みついているのだろう▲先月亡くなった劇作家、清水邦夫さんの戯曲「楽屋」は、演じることに執着する女優の業を、生者と死者が交錯する中で描く。死してなお楽屋でひたすら出番を待ち、化粧を続ける女優たちの姿は滑稽(こっけい)で切ない▲3度目の緊急事態宣言で、演劇はまたも「暗黒の力の脅威」にさらされている。楽屋のさざめきは消えてしまったが、舞台にしがみつく俳優の魂は変わらず出番を待っているに違いない。そして、空の客席は再開を待ちわびる観客の思いで満ちている。

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