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EUの源流といま

EUの源流を形作ったリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの人生をたどりながら、欧州統合のいまを見ます。

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/8 「英国なき欧州」想定 98年前「編入は不可能」

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「欧州合衆国」について演説するチャーチル英元首相=スイス北部チューリヒで1946年9月21日、AP
「欧州合衆国」について演説するチャーチル英元首相=スイス北部チューリヒで1946年9月21日、AP

 第二次世界大戦後、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーは亡命先の米国から欧州に戻り、パン・ヨーロッパ運動を再開させる。この時、有力な「協力者」となったのが、英国のチャーチル元首相だった。「我々はある種の欧州合衆国をつくらなければならない」。1946年9月、チャーチルはスイス・チューリヒで高らかに宣言する。この演説は戦後欧州が統合に向かう機運を高めたが、その中でチャーチルは欧州統合に「パン・ヨーロッパ運動が多大な貢献をしてきた」とも述べ、クーデンホーフ・カレルギーを礼賛。クーデンホーフ・カレルギーは感激し、両者は協調することになる。

 だが、親密な関係は長くは続かなかった。チャーチルはクーデンホーフ・カレルギーの人脈を利用しつつ、娘婿ダンカン・サンズを通じて別の組織を結成。クーデンホーフ・カレルギーはやがてチャーチル側に主導権を握られ、舞台の脇へと追いやられていく。チャーチルは共産主義への対抗などを念頭に欧州の「統合」を訴えたが、それはあくまで各国が主権を維持したままでの協力体制で、「大英帝国」を欧州に埋もれさせるつもりはなか…

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