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EUの源流といま

EUの源流を形作ったリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの人生をたどりながら、欧州統合のいまを見ます。

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EUの源流といま

/10 二つの統合運動、明暗 帝国時代懐古、支持広がらず

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欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の会合の会場で会話を交わすフランスのシューマン外相(右)とジャン・モネ経済企画庁長官=ルクセンブルクで1952年9月8日、AP
欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の会合の会場で会話を交わすフランスのシューマン外相(右)とジャン・モネ経済企画庁長官=ルクセンブルクで1952年9月8日、AP

 1950年5月9日、フランスのシューマン外相はパリで記者会見し、西ドイツとフランスによる石炭・鉄鋼産業の共同管理を呼びかけた。独仏の資源を巡る争いを終わらせることで、欧州の平和を実現する構想だ。この「シューマン宣言」に基づき翌年4月18日、西独や仏、イタリア、ベルギーなど6カ国がパリ条約に調印し、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立された。ECSCは、欧州共同体(EC)、欧州連合(EU)へと発展する。

 シューマン宣言を起草したのは、当時のフランスの経済企画庁長官、ジャン・モネ。リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーは深くは関わらず、自伝では宣言について「パリからうれしい便りが入った」などと簡潔に記しているだけだ。

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