イラストに描かれた「ひめゆり」 あの戦争の臭い・湿気…届くか

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館内に展示された、病院壕で負傷兵の手術を手伝うひめゆり学徒が描かれたイラスト=沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館で、喜屋武真之介撮影
館内に展示された、病院壕で負傷兵の手術を手伝うひめゆり学徒が描かれたイラスト=沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館で、喜屋武真之介撮影

 おしゃべりをしながら並木道を校門に向かって歩いていくセーラー服の少女たちの姿は、やがておぼろ月の下、荷物を背負って陸軍病院へと隊列を組んで歩いていくもんぺ姿に変わる――。写真すら残っていない76年も前の戦争の教訓をどうやって若い世代の心に届けるか。4月にリニューアルした沖縄県糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」が導き出した答えの一つが「イラスト」。画家の思いと資料館の狙いは――。

 太平洋戦争末期の沖縄戦では、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒らでつくる「ひめゆり学徒隊」が1945年3月から約3カ月に及ぶ地上戦となった戦場に動員された。負傷兵の看護などにあたったが、米軍の攻撃などで生徒・教師240人のうち136人が死亡。この沖縄戦の教訓を後世に伝えようと89年に資料館が開館した。

 4月にリニューアルした資料館。新しい展示は今と変わらぬ女学校の登校風景を描いたイラストから始まる。両校は現在の那覇市安里にあったキャンパス内に併置されていた。最近では観光客らに人気の飲み屋街「栄町市場」の辺りだ。

 赤瓦の校舎では将来、教壇に立つことなどを志す13~19歳の女子学生たちが学んでいた。資料館の第1展示室ではキャンパス全景のイラストや生徒たちの笑顔の写真を用いながら、平和な学園生活から次第に戦争が影を落としていった経過を紹介する。45年3月23日には米軍の沖縄本島上陸が目前に迫り、生徒たちに沖縄陸軍病院への動員命令が下った。この展示室の最後は、もんぺ姿に荷物を背負った200人余りの生徒たちが南東約5キロにあった陸軍病院へと歩いていくイラストで終わる。

 資料館が展示をリニューアルしたのは2004年に続いて2回目。沖縄戦から76年がたち、当時を知る人が身近にいなくなった今、どうすれば若い世代に戦争のことが伝わるのか。戦後生まれの職員らが中心となり「戦争からさらに遠くなった世代へ」をテーマに展示を考え、出した答えの一つがイラストの導入だった。学芸課長の古賀徳子さん(50)は「沖縄戦での学徒たちの様子を捉えた写真はなく、言葉で説明しても想像が難しい部分がある。イラストでイメージをつかんだうえで、その先の展示を見てもらいたい」と語る。

 イラストの制作を依頼したのは海津研(かいづけん)さ…

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