信楽高原鉄道とJR西日本の列車が正面衝突した事故から30年が過ぎた。
42人が死亡し600人以上が負傷した。信楽鉄道の社員ら3人は刑事事件で有罪となり、民事訴訟ではJR西も注意義務違反があったと認定された。
鉄道事業者の責任追及にとどまらず、遺族らは再発防止の活動に力を入れた。鉄道事故の原因究明に当たる国の組織が創設される原動力になった。
事故当時、日本には専門の調査機関がなかった。遺族らは先行する米国家運輸安全委員会を視察した。この経験を生かし1993年、市民団体「鉄道安全推進会議」(TASK)を結成した。欧州での取り組みも現地で調べた。
当時の運輸省に調査機関の設置を訴え続けた結果、2001年、航空・鉄道事故調査委員会が誕生した。08年には、より独立性が高く権限の強い運輸安全委員会に改組された。
これまでに300件超の事故を調査し、報告書をまとめてきた。
05年に起きたJR福知山線脱線事故は、乗客106人と運転士が死亡した。速度超過が原因だったが、報告書はJR西のミスに対する厳罰主義が背景にあったと指摘した。
国土交通省によると06年以降、乗客が死亡した鉄道事故はない。ただ、重大事故につながりかねないトラブルは起きている。
17年には東海道・山陽新幹線「のぞみ」の台車枠に亀裂が生じ、乗務員らが異変に気づきながら3時間以上も走行していた。
歳月の経過とともに、事業者の気の緩みを懸念する専門家の声もある。
信楽鉄道に事故当時を知る社員は残っていない。犠牲者を悼む30回目の法要後、社長は「社員研修を続け教訓を伝えていきたい」と話した。
調査機関を作り、社会に根付かせたTASKは19年に解散した。だが安全の追求に終わりはない。
TASKの設立趣意書には「奪われた命はかえってくるものではないが、事故の悲惨な犠牲を将来にいかすことはできる」とあった。
遺族の思いを、国や事業者は真摯(しんし)に引き継いでいかなければならない。