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毎日新聞朝刊1面の看板コラム「余録」。▲で段落を区切り、日々の出来事・ニュースを多彩に切り取ります。

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日中戦争により開催が返上された1940年東京五輪では…

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 日中戦争により開催が返上された1940年東京五輪では、国際オリンピック委員会(IOC)もこの返上を歓迎した。当時のラツールIOC会長は「時宜(じぎ)を得た放棄だ。後日の開催を望む」との談話を発表した▲同会長は返上が決まる前に、戦争が続くなら米、英、スウェーデンなどが大会をボイコットする予想を外交ルートで日本政府に伝えていた。「むしろ日本側から辞退した方が、日本の面目のためにもいい」と内々に警告したのである▲「非常時局」を呼号してきた日本政府はその後の38年7月に大会の返上を決めた(橋本一夫(はしもと・かずお)著「幻の東京オリンピック」)。五輪運動の分裂を恐れたIOCだったが、結局のところ欧州での第二次大戦勃発で40年大会は中止となる▲返上から83年、今度はコロナ禍の下での東京五輪開催の是非が論議となった。IOC幹部は緊急事態宣言下でも五輪をやるのか問われて「イエス」と答え、またバッハ会長は「大会実現には犠牲を払わねば」と開催への決意を語った▲ただすぐに「犠牲は日本人に求めたのではない」と釈明したのは、会長発言への世論の反発に驚いたからだろう。ワクチンの接種も遅れ、感染の制御が難しい中での開催は、五輪の理念に照らしても本末転倒だとの声は内外に広がる▲64年東京五輪の夢よ再び!――と招致された五輪だが、国民世論の分裂を招き、IOCや商業五輪への反感も呼び起こすことになってしまった。開催か?中止か? 未曽有(みぞう)の非常時五輪の剣が峰である。

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