埼玉・秩父の旧家、宿屋だった 旧贄川宿 江戸後期の版木を発見

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蔵印と同じ「やまいち」が入った版木を手にする新井充さん=埼玉県秩父市で、山田研撮影 拡大
蔵印と同じ「やまいち」が入った版木を手にする新井充さん=埼玉県秩父市で、山田研撮影

 埼玉県秩父市荒川の旧贄川(にえがわ)宿にある旧家で、江戸時代後期に作られたとみられる版木が見つかり、宿屋だったことが判明した。記述内容から三峯神社(同市三峰)や秩父札所34カ所観音霊場の参拝者をターゲットにした宿だったことが浮かぶ。贄川宿の版木は以前にも報告があり「新発見」ではないが、改めて先人の営みに思い巡らすきっかけになった。

 文字が左右逆になった版木は縦38センチ、幅8センチ、厚さ最大2・5センチ。元教員で荒川歴史懇話会の新井充さん(71)が自宅の母屋裏にあった小屋を解体しようとした4月、中から道具類などとともに無造作に置かれた状態で見つかった。新井家は、熊谷と甲府を結ぶ街道「秩父往還」に面した旧宿場町中心部に建つ。家の前は江戸初期から多くの参拝者や商人が往来し、市も立った。

新井さん方で見つかった版木で刷ると文字が並ぶ。中央上部が「やまいち」の蔵印=荒川歴史懇話会提供 拡大
新井さん方で見つかった版木で刷ると文字が並ぶ。中央上部が「やまいち」の蔵印=荒川歴史懇話会提供

 新井さんら懇話会員が文字を解読した。上部中央にあるのは、今も新井家の蔵に書かれている「やまいち」の蔵印。下部中央には「新井半兵衛」の文字があった。墓に1860(万延1)年に亡くなったとある新井さんの6代前の先祖と名前が一致した。「半兵衛」の文字の上には宿屋経営を示す「定宿(じょうやど)」とある。

 客層を伝える文言もあった。「御順礼衆(ごじゅんれいしゅう)」は札所を順番通りに巡る一行を指す。「三峰山講中」は、旅費を積み立てて三峯神社を定期的に参拝した庶民の団体で、江戸(東京)や北関東、甲信地方など広範囲で組織されたという。他の文字も合わせると「札所や三峯神社への旅は半兵衛の宿をお訪ねください」という意味だった。

 裏面は文字が左右正方向。X線写真撮影で、「馬之助」をはじめとする名前などの墨書きが確認できたが、作製時期や由来などの記述はなかった。

 新井さんは地域史を研究しながらも、江戸期の家業を伝えられておらず、宿の経営を知らなかった。「荒川村誌資料編3」(1997年、旧荒川村)に収録された古文書の一つに、贄川村で農民の兼業状況を調査し、1838(天保9)年に作製された報告がある。農業を営む159軒中、商工などとの兼業は69軒。このうち7軒ある「宿」を営む一人に「半兵衛」(名字不記載)との記載があり、それより以前から宿屋を営んでいたと説明されていた。版木の記載や、こうした史料の記述を総合すると、版木は「文政年間(1818~31年)ごろから使った」と推測することができた。

 この報告にある宿のうち別の2軒は、地域史を調べて歩いた故小林淳平氏が1992年に自費出版した「峡(かい)の村ふるさと」に版木の写真が載っている。いずれも様式は新井家の版木と似ており、江戸後期に各宿が競って版木を利用していた可能性も浮かんだ。

 「講などの客に渡せばリピーターになると期待したかもしれない」「旅の記念、証しとして宿泊者に喜ばれたのでは」。懇話会メンバーは、印刷物の利用方法にも想像を巡らす。

 新井さんは「新史料はどこの家にもあるのでは」と話し、今回の発見が、多くの家に眠っている家財などの再評価につながることを期待している。【山田研】

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