もう一つの「復活劇」かなわず 平成生まれ初の関取が引退を決めた訳

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琴奨菊(左)を破った舛ノ山=福岡国際センターで2012年11月20日、山下恭二撮影
琴奨菊(左)を破った舛ノ山=福岡国際センターで2012年11月20日、山下恭二撮影

 もう一つの「復活劇」は実現しなかった。かつて「平成生まれ初の関取」として土俵を沸かせた元前頭で東序二段14枚目の舛ノ山(30)=本名・加藤大晴、千葉県出身、常盤山部屋=が夏場所を最後に引退した。丸い体から繰り出す力強い突き押しで同世代の出世頭だった舛ノ山だが、度重なるけがや病気に悩まされながら、最後まで土俵に戻ろうと努力を続けた。

 最高時約180キロあった体重は120キロ台まで減り、顔もほっそりとしていた。夏場所14日目の5月22日にオンラインで引退会見に臨んだ舛ノ山は、国が難病に指定する「後縦靱帯(じんたい)骨化症」を患っていたことを明かした。「5、6年前から、腰に違和感があった。しびれがひどくなった」ため検査したところ、難病と診断されたという。靱帯が骨化し腰椎(ようつい)を圧迫するため、「稽古(けいこ)も満足にできない状態。歩くときもしびれや痛みが強くなった。…

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