- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

開発反対した妻と「同じ墓に」
ベルギー西部イーペルには、一つの言い伝えがある。多くの血を吸った大地には真っ赤な花が咲くという。2014年にこの町を訪れた時、確かに驚いた。戦没者の墓石が並ぶ草原には、あまりに鮮やかな深紅のバラやポピーが咲いていたからだ。
1914年に始まった第一次世界大戦で、イーペルは史上初めて本格的な毒ガス戦の舞台となった。催涙ガス弾などはそれまでにも使われていたが、ドイツ軍はイーペルの草原で15年4月22日、致死性の高い大量殺傷用ガスを初めて用いた。人の粘膜を破壊し、呼吸困難に陥れる塩素ガスだ。これをきっかけに、ドイツ軍に限らず英仏など連合国側も化学兵器を使い始める。さらにホスゲンなど新種の兵器も次々に投入され、第一次大戦での毒ガスによる死者は約10万人に上った。
毒ガスが使われた第一次大戦を「化学の戦争」、原子爆弾が使われた第二次大戦を「物理の戦争」と呼ぶことがある。戦争と科学の発展は切っても切れないが、その陰で命を落としてきたのは大量の一般市民だ。開発者はどんな思いで生涯を過ごしたのだろう。
この記事は有料記事です。
残り1492文字(全文1956文字)