“宝塚のモーツァルト”没後20年 元トップスターたちが語る魅力
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タカラヅカファンでなくとも、この人の曲を一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。<愛、それは甘く……>という歌い出しで有名な「愛あればこそ」など、宝塚歌劇を彩った名曲の数々を生み出した作曲家、寺田瀧雄。大阪万博(1970年)の開会式音楽を手掛けるなど幅広く活躍した。2000年に交通事故のため69歳で亡くなって20年がたち、大阪と東京で記念コンサートが開かれる。手がけた楽曲は何と3000曲、“宝塚のモーツァルト”との異名も持つ寺田。もの悲しさ、切なさ、懐かしさ……。人々の感情をかき立てるメロディーの魅力を、出演する元トップスターに聞いた。
初代オスカル「心臓飛び出しそう」
「クレッシェンド、コーラス、ピアノの旋律……。全てにハートがくすぐられます。寺田先生に『この曲どこから出てきたん?』って聞きたいぐらい」
「愛あればこそ」の魅力をユーモアたっぷりに語るのは、1974年、宝塚大劇場の観客の前で初めてこの曲を歌った元月組トップスターの榛名(はるな)由梨。池田理代子の人気漫画を原作に、演出家の植田紳爾が手がけた「ベルサイユのばら」の初演で、…
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