連載

渋沢栄一を歩く

「日本資本主義の父」と呼ばれ渋沢栄一の生涯を、生まれ故郷・埼玉県深谷市を中心とした取材からたどります。

連載一覧

渋沢栄一を歩く

/18 万博に初参加 養蚕や工芸、グランプリ /埼玉

  • はてなブックマーク
  • メール
  • 印刷
フランス行き前年の慶応2年に撮影された徳川昭武=松戸市戸定歴史館(千葉県)所蔵、同館提供
フランス行き前年の慶応2年に撮影された徳川昭武=松戸市戸定歴史館(千葉県)所蔵、同館提供

 1867年4月1日から11月3日まで開催されたパリ万国博覧会は、日本が初めて公式に参加した万博だった。

     ◇

 当時の様子は、渋沢栄一と幕府使節団に「外国奉行支配調役」として参加した杉浦譲(1835~77年)との共著「航西(こうせい)日記」(1871年)に詳しい。

 例えば、横浜を出航した翌日の朝食の紹介はこうだ。「食後カツフヘエーといふ豆を煎じたる湯を出す、砂糖牛乳を和して之を飲む、頗(すこぶ)る胸中を爽やかにす」。共著なので、栄一と杉浦どちらの体験なのか正確には不明だが、千葉県松戸市戸定(とじょう)歴史館の斉藤洋一名誉館長によると、徳川昭武(あきたけ)(1853~1910年)や栄一は実際にコーヒー好きであったとみられ、渡欧中の栄一や昭武の日記にもコーヒーを味わう場面が出てくる。渋沢史料館(東京都北区)の井上潤館長は、航西日記について「何でも挑戦してみようという姿勢、新しいことを受け入れる積極的な姿勢、旺盛な好奇心、情報を受け入れる柔軟性が感じられる」と評価している。

 幕府の国際的な活動は、幕末~明治維新の敗者側の歴史として、顧みられることが少なかった。パリ万博から150年の節目に当たる2017年、戸定歴史館や渋沢史料館などでパリ万博と昭武、栄一をテーマにした展覧会が相次いで開かれて以降、少しずつ知られるようになってきた。

この記事は有料記事です。

残り2030文字(全文2603文字)

あわせて読みたい

注目の特集