「薪のように燃えた手」浜松大空襲経験の94歳が語る「あの日」

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
右手には皮膚がん手術後も痛みが残るが、ペンを握り続けている木津さん=浜松市で2021年4月20日午後3時48分、南茂芽育撮影
右手には皮膚がん手術後も痛みが残るが、ペンを握り続けている木津さん=浜松市で2021年4月20日午後3時48分、南茂芽育撮影

 第二次世界大戦時の空襲で負傷し、今も後遺症などを抱える民間人を救済する法案の提出が今国会で模索されるなか、長年、法成立を願って手記をしたためてきた被害者がいる。1945年6月の浜松大空襲を生き延びた木津正男(ただお)さん(94)だ。大やけどで5カ月生死をさまよい、戦後も利き手の不自由などに悩まされてきた。今月で同空襲から丸76年となるが、「国が民間人の被害を認め、救済法ができた時が終戦記念日」と語る。【南茂芽育】

 4月下旬、浜松市中区の住まいを訪ねると、木津さんはコロナ禍のためマスク姿で迎えてくれた。よく見るとマスクは耳にかけるのではなく、頭を一周するゴムで支えられている。「空襲で耳を吹き飛ばされたから、普通のマスクをかけられないんです。このマスクは妻の手作り」

 家に入り、取材を始めると最初に右手を見せてくれた。甲には、他の皮膚よりも浅黒い円形状の部分があった。「昨年、手から大出血して、腹の皮膚を19センチ切って移植しました。皮膚がんでした」。よく見ると、…

この記事は有料記事です。

残り1763文字(全文2198文字)

あわせて読みたい

この記事の筆者
すべて見る

注目の特集