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80年代の「みじめ」は遠くに 海外で培われたサッカー日本代表

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異例の「兄弟マッチ」で競り合う日本のフル代表のFW大迫勇也(中央手前)とU24日本代表のDF橋岡大樹(同奥)ら=札幌ドームで2021年6月3日、貝塚太一撮影
異例の「兄弟マッチ」で競り合う日本のフル代表のFW大迫勇也(中央手前)とU24日本代表のDF橋岡大樹(同奥)ら=札幌ドームで2021年6月3日、貝塚太一撮影

 札幌ドームで3日、来年のサッカー・ワールドカップ(W杯)カタール大会出場を目指す日本代表(フル代表)と、直前に迫った東京オリンピック世代のU24(24歳以下)日本代表が対戦した。代表が合宿中の練習試合で大学などの国内チームと対戦することは珍しくないが、それ以外となると数は多くない。日本サッカー界の「冬の時代」には、象徴的な対戦があった。

 フル代表は1968年メキシコ五輪で銅メダルに輝いて以降、五輪出場を逃し続け、悲願のW杯初出場も遠のくばかり。長い低迷期の80年代、フル代表は80年12月の日本代表シニア戦を皮切りに日本のチームと5試合を行い、1勝3敗1分けと負け越している。

 86年W杯メキシコ大会のアジア2次予選を控えた85年5月、東京・西ケ丘で行われた読売クラブ(現J2東京ヴ)戦は終了間際に失点し0―1で敗れた。フル代表の歴史上、国内の単独チームに初めて敗れ、毎日新聞には「みじめ日本代表 読売クに敗退」の文字が躍った。2年後の87年4月には、88年ソウル五輪のアジア予選の直前に旧国立競技場で日本リーグ選抜と戦い、やはり0―1で敗れた。今度は「日本代表無残」の見出しとなった。

 当時のフル代表の名誉のために言えば…

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