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香原斗志「イタリア・オペラ名歌手カタログ」

オペラ評論家の香原斗志さんが、往年の名歌手から現在活躍する気鋭の若手までイタリアのオペラ歌手を毎回1人取り上げ、魅力をつづります。

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香原斗志「イタリア・オペラ名歌手カタログ」

<第17回> ヴィットリオ・グリゴーロ(テノール)

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14日間の隔離期間を経て7月まで各地でリサイタルを行うヴィットリオ・グリゴーロ
14日間の隔離期間を経て7月まで各地でリサイタルを行うヴィットリオ・グリゴーロ

伊仏それぞれのスタイルを自在に行き来し、

オペラに生命を注ぐテノールのカリスマ

 パンデミックの到来を予想さえしなかった2020年1月21日、ミラノ・スカラ座でグノーの「ロメオとジュリエット」を鑑賞した。そのロメオ役がグリゴーロだった。このテノールの声を自在に操る能力には舌を巻くしかないが、このときも同様で、若いロメオの振幅の広い情熱が力強く、かつ細やかによみがえった。

 一定の強さで平板にフレーズをたどる歌手が多いので誤解しがちだが、作曲家はたいてい、ディナーミクの大きなレンジを歌い手に求めている。本当は歌手がそれを表現できたときに初めて、歌に生き生きとした感情が宿り、ドラマが動き出す。ロマン主義のオペラにおいては特にそうである。

 その点、現代においてグリゴーロほど、声をすみずみまで制御して自在に強弱をつけられるテノールはいない。しかも、その声は元来が官能的で、そこに多彩な色合いやニュアンスも加わって、フレーズは高い精度の音楽性を保ちながら、同じくらい高い次元の演劇性も帯びる。そして要所で加わる輝かしい高音。聴き手は恍惚(こうこつ)となるしかない。

 そうした表現は並外れたテクニックが礎になっているのはもちろんだが、おそらく生まれながらの演劇的な資質にも支えられている。後者が勝ったときの濃厚な味わいも、テクニックの支えなくしては決して得られない。

 グリゴーロが歌うのを初めて生で聴いたのは2012年9月、スカラ座におけるプッチーニ「ラ・ボエーム」だった。そのとき驚かされたのは、やわらかい声を輝かしく響かせる一方で、ピアニッシモがきわめて美しいことだった。練達の書のように強弱も濃淡も縦横無尽で、ところどころにイタリア・オペラならではの情熱のストレートな表出も加わって、申し分のないロドルフォだった。

 聞けば、ことにロドルフォについては、晩年のパヴァロッティから直接手ほどきを受けたという。端正だが濃密なフレージングや美しいポルタメント(音と音を滑らかにつなぐテクニック)は、たしかにパヴァロッティに通じる。

 一方、その後はフランス・オペラの担い手としての存在感にも、たびたび驚かされることになった。フランス作品に取り組むイタリア人のテノールは少なくないが、良くも悪くもイタリア・オペラのような表現から抜けられないことが多い。ところが、グリゴーロはそれぞれのスタイルの違いを見事に踏まえて歌い分ける。

 冒頭で紹介したロメオ役は、美しいフランス語と、イタリア・オペラとは異なるやわらかく繊細なフレージングと内に秘めた表現が際立っていた。事実、6歳から3年間、フランス語を母国語とする人が通う学校に通ったため、フランス語はネイティブ並みに自在。そして伊仏の表現の違いを自由に使い分けられるのは、それだけテクニックが完璧であることの証しである。

 そんなグリゴーロの来日がかなった。東京のサントリーホール(6月22日)を皮切りに、大阪のフェスティバルホール(27日)、福岡シンフォニーホール(30日)、そして東京の浜離宮朝日ホール(7月3日)の4公演で、伊仏のアリアを歌う。コロナ禍でしおれかけた心に麗しい水を注いでくれることだろう。

筆者プロフィル

 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。声の正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。「イタリア・オペラを疑え!」がアルテスパブリッシングより好評発売中。ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」を連載中。

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