「真珠王」御木本幸吉と渋沢栄一 親交伝える石碑、話題に 鳥羽・ミキモト真珠島に2基 /三重

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渋沢栄一揮ごうの「真珠ケ島」を刻んだ石碑と松月清郎館長=三重県鳥羽市のミキモト真珠島で、林一茂撮影
渋沢栄一揮ごうの「真珠ケ島」を刻んだ石碑と松月清郎館長=三重県鳥羽市のミキモト真珠島で、林一茂撮影

 鳥羽市出身の真珠王、御木本幸吉(1858~1954年)と日本における資本主義の父といわれる渋沢栄一(1840~1931年)との親しい交流を伝える石碑が、同市のミキモト真珠島に2基現存し、話題となっている。御木本が始めた米国での真珠製品の販売や発明王のエジソンと面会の仲立ちなどを支援した渋沢は、2基の石碑に刻まれた「真珠ケ島」と「千秋放光」を揮ごうした。松月清郎・真珠博物館長は「海外にいち早く目を向けた先人たちの心意気を感じ取ってほしい」と話している。【林一茂】

 松月館長によると、鳥羽のうどん屋の長男として生まれた御木本は、東京や横浜への見聞の旅に出た。そこで高価な値で取引される天然真珠を知り真珠養殖を決心。1893年に半円真珠を発明した。取り出したばかりの養殖真珠を手に出向いた東京で、法学者で東京大学教授の穂積陳重(のぶしげ)と出会った。奇(く)しくも穂積の妻が渋沢の長女だった縁で、渋沢との交流が始まったという。

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