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強制退場させられた息子・ハムザ ビンラディン裏ファイル⑧

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ハムザ(中央)は2005年ごろ、軟禁状態にあったイランで結婚式を挙げた=米中央情報局(CIA)のウェブサイト「November 2017 Release of Abbottabad Compound Material」から
ハムザ(中央)は2005年ごろ、軟禁状態にあったイランで結婚式を挙げた=米中央情報局(CIA)のウェブサイト「November 2017 Release of Abbottabad Compound Material」から

 2000年12月、4歳年上の義兄ムハンマドの結婚式で、弱冠11歳ながらも親族を代表して詩を朗読するなど、ハムザは一家の中で特別な存在だった。戦闘服と弾帯を喜んで身にまとい、父ビンラディンと一緒に国際テロ組織「アルカイダ」の宣伝ビデオにも登場している。父が自爆テロの希望者を募った際には、子供たちの中でただ一人、手を挙げた。戦士へのあこがれが誰よりも強かったのだ。

 01年9月の米同時多発テロ事件(9・11テロ)後の情勢悪化を受け、ビンラディンは家族をパキスタンやイランに逃がすことを決める。ハムザは父とともにアフガニスタンに残ることを希望したがかなわず、11月11日に別れの日が来た。東部ジャララバード郊外にあるオリーブ園で、父は失意のハムザにお祈り用のストリングスを渡し、「強くあれ。イスラムに忠実に」と伝えた。バスに乗り込んだハムザは、別れを告げようと父の姿を追う。だが、父は振り向かずに去っていった。

 「あなたのほほ笑み、話してくれたことはすべて覚えています」。パキスタンを経てイランに向かったハムザは8年に及ぶ捕囚生活を送ることになる。その期間、父を慕う手紙を送り続けた。10年8月、ようやく拘束が解かれ、妻、そしてウサマと名付けた息子らとともにパキスタンに向かう。だが、再会を果たせぬまま11年5月、父が米特殊部隊に殺害されたことをパキスタン北部のペシャワルで知る。逃げるようにして飛行機に飛び乗り、向かった先のカタールでは、アルカイダ再建費用を集めるため、スポンサーを訪ね回った。

 「我々はウサマ(ビンラディン)とともにある」。15年8月、ハムザはアルカイダの宣伝メッセージに初登場し、父を殺害した米国へのリベンジを誓う。だが、…

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