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渋沢栄一を歩く

「日本資本主義の父」と呼ばれ渋沢栄一の生涯を、生まれ故郷・埼玉県深谷市を中心とした取材からたどります。

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渋沢栄一を歩く

/19 使節団崩壊の危機 栄一の交渉術が救う /埼玉

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ナポレオン3世(右)とウージェニー皇后・ルイ皇太子=松戸市戸定歴史館(千葉県)所蔵、同館提供
ナポレオン3世(右)とウージェニー皇后・ルイ皇太子=松戸市戸定歴史館(千葉県)所蔵、同館提供

 パリ万国博覧会(1867年)で、幕府出品物には最高位のグランプリメダルが授与された。徳川昭武は67年7月1日の褒賞授与式で、ナポレオン3世夫妻らとともに壇上に並び、幕府が日本の統治者であることを堂々とアピールした。

     ◇

 昭武はこの後、日本と修好通商条約を締結したスイス、オランダ、ベルギー、イタリア、英国を3回に分けて訪問する「欧州巡歴」に出る。5カ国の元首を昭武が直接訪問した欧州巡歴にも、万博公式参加と同じ狙いがあった。万博が終わって外交担当者の一部が帰国し、担当する仕事が増えた渋沢栄一はますます多忙を極める。残った随員の間で使節団が内部崩壊しかねない衝突が起こったのは、出発の直前だった。

 口述自伝「雨夜譚(あまよがたり)」などによると、最初のスイス訪問を前に、昭武の世話役のトップ山高信離(のぶあきら)は、一行の体裁を整えて経費を節約するために、身辺警護の供回りの人数を減らすよう水戸藩士に命じた。髷(まげ)を結って長い刀を差した侍が7人も随行する様子が西洋人には奇異に映るのではないかと心配したのだ。ところが、これを聞いた水戸藩士は怒り出し、7人全員の随行を主張して譲らず、山高は困り…

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