特集

カルチャープラス

カルチャー各分野をどっぷり取材している学芸部の担当記者が、とっておきの話を報告します。インタビューの詳報、記者会見の裏話、作品やイベントの論評など、さまざまな手法で、カルチャー分野の話題の現象を記者の視点でお伝えします。

特集一覧

常夏通信

その98 戦没者遺骨の戦後史(44)本土の犠牲になった沖縄

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
出土した遺骨を持つ、遺骨収容ボランティア団体「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん=沖縄県西原町で2014年5月、栗原俊雄撮影
出土した遺骨を持つ、遺骨収容ボランティア団体「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん=沖縄県西原町で2014年5月、栗原俊雄撮影

 一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道をしている「常夏記者」こと私は、2006年に戦没者遺骨の取材を始めた。硫黄島(東京都小笠原村)、ロシア・シベリア。旧満州(現中国東北部)にペリリュー(パラオ共和国)。東京に大阪。遺骨がかつてたくさん埋まっていて、今も埋まっているであろう場所を取材した。

 特に衝撃的だったのが、本連載で取り上げてきた硫黄島だ。12年、私は遺骨収容団に参加して渡島した。東京都心から1250キロ南。7月、酷暑の中で遺骨を掘った。離島とはいえ首都・東京の一部だ。自衛隊が常駐している。であるのに、1万体以上の遺骨が行方不明だ。そのこと自体驚きだったが、さらに驚いたのは、ほとんど記憶の無い父親の骨を、70歳を過ぎた「息子」や「娘」が捜していることだった。

 「戦後70年近く過ぎた今、なんで高齢の遺族が父親の遺骨を捜しているのか。本来は政府がもっと早く収容すべきだったし、できたはずだ。日本の戦後は重要な部分で決定的に間違っていたんじゃないか」。そう思った。「戦闘は1945年に終わった。しかし戦争の被害は今も続いている。広義の戦争は未完なのだ。そのことを広く伝えなければならない」。常夏記者はそういう気持ちを一層強くした。「戦没者遺骨の問題は、未完の戦争の典型だ」とも。

沖縄での取材をためらった理由

 戦没者遺骨の取材をしている以上、沖縄を外すことはできない。日本人だけでおよそ18万人が亡くなっている。しかし、私は取材に入ることをためらっていた。

 理由は二つある。一つは、地元紙などによる分厚い先行報道があり、アカデミズムによる研究の蓄積がある。「今さら自分が加わっても、既報のことばかりだろう」と思ったことだ。もう一つは、…

この記事は有料記事です。

残り2455文字(全文3176文字)

あわせて読みたい

この記事の特集・連載
すべて見る
この記事の筆者
すべて見る

注目の特集