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谷あいの耕作放棄地を再生させ、自ら米作りをする研究者がいる。国立環境研究所気候変動適応センター室長の西広淳さん(49)。専門は農学ではなく、植物生態学だ。西広さんの目に映る田んぼは、米を育て収穫するだけの場所ではない。地球温暖化に歯止めがかからず、第6の大量絶滅期といわれるこの時代に欠かせない役割がそこにはあるのだという。生態学者がなぜ今、田んぼを耕すのか。【阿部周一/科学環境部】
梅雨入り前に晴れ間の広がった5月下旬、千葉県印西市の田んぼに西広さんの姿があった。北総線・印西牧の原駅から徒歩約30分。住宅地の広がる台地と、ゴルフ場が整備された丘陵地に挟まれた「谷津(やつ)」と呼ばれる低地の田んぼだ。
所有者の農家が数年前に手入れをやめた、15アールほどの田んぼを再び掘り起こし、2020年春から米作りを始めた。この日は家族や研究所の仲間たちと手分けして手作業で苗を植えた。「昨年は2家族が1年食べられるくらいの量のお米がとれました。プロの農家が見るとおかしな田んぼでしょうが、十分です」
米だけではない。雑草も種類によってはおかずになる。「おひたしにしたり、炒めたり。昔は『救荒(きゅうこう)植物』といって飢饉(ききん)の時の食料でした」。すぐに抜くべき草、生やしておいて問題ない草、おかずにする草。専門家にとって識別は朝飯前だ。
台地の縁に点在するこうした低地は、地方によって「谷津」や「谷戸(やと)」などと呼ばれる。印西市を含む千葉県北部の印旛沼(いんばぬま)周辺には約500カ所もあるという。
谷津は1950年代ごろまで水田稲作の中心地だった。豊富な地下水を利用し、肥料や牛馬の餌となる草は台地の草原や林から調達した。台地の草資源を守ることが地下水のかん養につながり、一つの循環システムが形作られていた。
しかし、60年代以降、大規模営農に適した水田が次々と開拓されていく…
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