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幻の1940、神話の1964… 東京五輪が追い求めた理念と実像

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西日を浴びる五輪シンボル=東京都新宿区で2021年2月4日、小川昌宏撮影
西日を浴びる五輪シンボル=東京都新宿区で2021年2月4日、小川昌宏撮影

 3回の東京オリンピックはいずれも戦災や震災からの「復興五輪」とされる。2020年大会は東日本大震災の被災地の復興しつつある姿を、1964年大会は戦後復興の証しとして、40年大会は関東大震災からの「帝都」の繁栄を、それぞれ示すはずだった。今夏の五輪開催に懐疑的な声が高まる中、その過程をつぶさに振り返ると、新たな実像が見えてくる。

「呪われた五輪」その始まり

 「アジア初の開催」となるはずの1940年東京オリンピックは、日中戦争の影響で幻と消えた。40年ごとにトラブルに見舞われてきた日本の苦い五輪史はここから始まった。クレー射撃で76年の五輪に出場した麻生太郎副総理兼財務相が「呪われたオリンピック」と発言して注目を集めたが、「40年周期」にあたる2020年東京五輪も新型コロナウイルスの影響で史上初の1年延期となった。

 40年の東京五輪は、神武天皇の即位から2600年にあたるとして、祝賀行事の一環で冬の札幌とともに招致した。しかし、37年に日中戦争が泥沼化して五輪の準備どころではなくなり、38年に日本は開催権を返上した。大会出場を目指していた多くのアスリートが戦地に送り出され、命を落とした。

 さらに40年後。80年モスクワ五輪は東西冷戦下で、旧ソ連のアフガニスタン軍事侵攻に抗議した西側諸国が参加をボイコットした。日本は追随する政府の強い意向を受け、選手団の派遣を見送った苦い過去がある。大会に参加したのは約80カ国・地域にとどまったが、イギリスやフランスのように西側でも参加した国もある。東側諸国は報復として84年ロサンゼルス五輪に参加しなかった。

 五輪が中止となったのは過去に夏3回、冬2回の計5回だが、いずれも戦争の影響による。競技の主役であるはずのアスリートの思いが顧みられることはなく、国際政治の駆け引きに翻弄(ほんろう)されてきた。日本オリンピック委員会(JOC)関係者は「権力者であれば誰もが五輪の影響力を利用したくなる。政治との距離感を保ち、利用されないようにしないといけない」と語る。

 延期となった東京五輪は23日で開幕まで1カ月となるが、感染の不安が根強い世論を意識し、開催可否について自ら語るアスリートは少ない。政府のコロナ政策に振り回され、五輪が与野党の解散・総選挙の駆け引きに使われている面もある。アスリート不在の印象がまたも深く刻まれようとしている。【浅妻博之】

「夢よ、もう一度」生まれた五輪神話

 1964年東京オリンピックは、戦後復興と高度経済成長のシンボルとなった。大成功だったという「五輪神話」の記憶が郷愁を呼び起こし、「夢よ、もう一度」とその後の五輪待望論につながっている。

 「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような素晴らしい秋日和でございます」。64年10月10日、中継アナウンサーの第一声とともに、東京五輪の開会式は始まった。航空自衛隊のブルーインパルスが国立競技場の上空に描いた五つの輪は国民の脳裏に刻まれた。開幕後は日本選手団の金メダルラッシュに日本中が沸いた。象徴は女子バレーボールの「東洋の魔女」だ。猛練習で回転レシーブを編み出して頂点に立ち、視聴率はスポーツ中継歴代トップの66・8%を記録した。敗戦国の日本が世界に認められたという自負も生まれた。

光と影 幻を追いかけて

 五輪開催に向けて、東京…

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