60年ぶりによみがえったロケット旅客機 「父」糸川英夫の見た夢

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「日本のロケットの父」と呼ばれる糸川英夫=1958年7月撮影
「日本のロケットの父」と呼ばれる糸川英夫=1958年7月撮影

 宇宙空間をロケットエンジンで飛行し、世界の主要都市間を1時間程度で結ぶ「宇宙旅客機」の開発に日本が乗り出す。だが、第二次世界大戦の敗戦から間もない60年以上も前、同じような「ロケット旅客機」を構想した男がいた。「ペンシルロケット」に始まる国産ロケット開発を先導し、「日本のロケットの父」と呼ばれる糸川英夫(1912~99年)だ。「独創」で知られる先駆者が目指したものは何だったのか、教え子の証言などから探った。【西川拓/科学環境部】

1955年、新聞に載って「冷や汗」

 「20分で太平洋横断 八万メートルの超高空をゆく」。55年1月3日の毎日新聞朝刊社会面に、目立つ囲み記事が載った。「科学は作る」と題した新年の連載企画の2回目だ。糸川ら東京大生産技術研究所のロケット旅客機構想を紹介し、「東京に住み、サンフランシスコの事務所に通勤し、週末は箱根の別荘ですごす実業家が出てくるかもしれない」などと書く。試作した模型の写真も添えられている。

 「糸川先生に言われ、あの模型を作ったのは私です。お金がないもんだから紙で。新聞に載ったのは、冷や汗ものでした」と笑うのは、当時、糸川研究室の大学院生だった秋葉鐐二郎・東大名誉教授(90)だ。研究所ではすでに、ペンシルロケットに向けた検討が始まっていたが、糸川がぶち上げたのは客や貨物を運ぶ航空機にロケットエンジンを利用することだった。「ペンシルロケットはあくまでサイエンス(科学)のため。糸川先生は、多くの人を引き付けるために旅客機としてのロケットの将来を語ったのだろう」と秋葉さんは言う。ペンシルロケットの名称は、長さ23センチと超小型で鉛筆のような形状をしていたことが由来だ。

 前年の54年7月に発行された研究所の論文誌「生産研究」に発表した論文「航空工業の現状と将来 ロケット超高空旅客機の可能性について」で、糸川はロケットエンジンを利用した航空機の利点や技術的な可能性、大まかな採算性を考察している。離陸と着陸の方法や機体の耐熱性などの課題が多く残っていることを認めつつ、…

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