「帰れ、鶏肉へ!」帰れぬ祖国 「亡命ロシア料理」異文化の隠し味
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「帰れ、鶏肉へ!」。そんな奇妙な名を持つ料理がツイッターで話題になった。鶏肉のかたまりとタマネギを1滴の水も入れず1時間半煮込むだけ……。元々は、冷戦時代の旧ソ連から米国に移住した2人のユダヤ系ロシア人が著書「亡命ロシア料理」に書きつづったものだ。この料理が日本に紹介されるまでの物語を追ってみた。【小国綾子/オピニオングループ】
<米国に亡命した二人のロシア人、ピョートル・ワイリ、アレクサンドル・ゲニスの名著「亡命ロシア料理」より。「帰れ、鶏肉へ!」……>
二つ割りした白いタマネギと鶏肉を無水調理できる鉄鍋に突っ込んだ写真を添えて、12日夜、そうツイートしたのは、私自身だ。
自宅で原稿を書いている間、1時間半放置しておけば完成する便利な料理を紹介した。ツイートには、出典であるエッセー本「亡命ロシア料理」の文章を以下のようにたっぷり引用した。
<水は一滴もいらない! 塩を振り、弱火にかけて、その場を離れる。 掃除なり、愛なり、独学などに精を出せばいい。台所にいなくったってすべてはうまくいくのだから。一時間半程たてば、汁の滴る素晴らしい料理ができあがる>
「作ってみた」と次々に
原稿を書き上げ、料理もおいしく食べ終わったころ、異変に気づいた。ツイートが普段にない勢いで拡散されていた。実際に作ったという人たちが写真付きで「おいしかった」「びっくり」と次々に投稿してくれていた。数日間で、リツイートは1万4000件、「いいね」は4万件を超えた。
17日には、新聞系のネットメディアから取材が舞い込んだ。「ツイートを紹介させてください」
私は何だか、いたたまれなくなった。だって、多くの人が魅惑されたのは、私のツイートなんかではなく、料理「帰れ、鶏肉へ!」なのだ。本来、拡散されるべきは「亡命ロシア料理」という名著の方なのだ。
「ツイートが拡散されたのは、『亡命ロシア料理』『帰れ、鶏肉へ!』というネーミングの妙とレシピの優秀さ、そしてこの本の内容と文章、翻訳の良さだと思います。私なんかより、ぜひ、本を紹介してください」
そう言って、私は取材を丁重にお断りしたのだった。
版権取得から3年後の出版
ところが、しばらくたって「待てよ」と考え込んだ。
私の仕事は何? 新聞記者じゃなかったっけ。そうだ。「この本を取材して」と誰かにお願いするのではなく、自分がちゃんと責任を持って取材すべきじゃないか?
かくして翌18日、私は東京・神保町にある小さな出版社「未知谷」を訪れた。「亡命ロシア料理」を1996年に出版した版元である。<誰もやらないなら私がやります>をモットーに掲げる、小さいが気骨のある出版社だった。
「ごめんください……」。所狭しと積み上げられた本の山を恐る恐るかき分け、たどりついた奥の部屋に、創業者で社長の飯島徹さん(71)は悠々と座っていた。
ポロシャツにジャージー姿。日焼けしている。隣に自転車がある。毎日1時間かけて自転車通勤しているという。「余計なツイートして、仕事を増やしやがって」とか、叱られたりしないだろうか。
恐る恐る頭を下げると、飯島さん、からりと笑って私にこう言った。「あなたのツイートがきっかけで、1週間で100冊も動いたよ」
飯島さんによると、「亡命ロシア料理」は出版前も後も、数奇な運命をたどった本らしい。スラブ文学者の沼野充義さんが「未翻訳文献…
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