連載

余録

毎日新聞朝刊1面の看板コラム「余録」。▲で段落を区切り、日々の出来事・ニュースを多彩に切り取ります。

連載一覧

余録

郷愁を誘う津軽三味線の音色は…

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷

 郷愁を誘う津軽三味線の音色は、聴く者の胸を締めつける。各地を旅してその音色を広めたのが初代・高橋竹山(ちくざん)である。18日に生誕111年を迎えた▲幼くして視力を失う。小学校に入るといじめられ、学校に行かなくなる。食べていくためつらい稽古(けいこ)に耐え、三味線を覚えた。家の軒先で演奏してお米やお金をもらう旅に出た。門付(かどづ)けと呼ばれた▲竹山をモデルにしたのが北島三郎さんの「風雪ながれ旅」だ。<破れ単衣(ひとえ)に三味線だけば よされよされと雪が降る 泣きの十六短い指に 息を吹きかけ越えてきた>▲門付けのため竹山は北海道へ渡る。記録映画「津軽のカマリ」によれば、寒さと飢えの中で手を差し伸べてくれたのは、自分と同じように貧しい朝鮮の人だった。以来、感謝の気持ちを表し「アリラン」を弾くようになる。虐げられた人の悲しみと怒りを深く知り、それをバチに込めた▲若い頃は日本が戦争へひた走り、暗く貧しい時代であった。こうも語っている。「わがやってくれと頼んだもんだか」。誰が戦争をしてくれと頼んだというのか。貧困、飢餓、隣り合わせの死。誰もが経験した戦時の記憶は色あせていく。だが今でも竹山の三味線を聴けば、あの頃の人々の苦難を心の奥で知る▲戦後76年。唯一の地上戦を経験した沖縄は23日に慰霊の日を迎える。竹山は初めて訪れた時、島民の深い傷に触れ、演奏会で何分間も言葉を発することができなかったという。島人(しまんちゅ)の心に津軽三味線の音色はどう響いただろう。

あわせて読みたい

この記事の特集・連載
すべて見る

注目の特集