「負の歴史」残る地元で入り交じる賛否 美浜原発3号機再稼働

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関西電力美浜原発3号機の起動の様子を映す、中央制御室からのライブ中継画面=福井県美浜町で2021年6月23日午前10時、山田尚弘撮影
関西電力美浜原発3号機の起動の様子を映す、中央制御室からのライブ中継画面=福井県美浜町で2021年6月23日午前10時、山田尚弘撮影

 関西電力美浜原発3号機(福井県美浜町)が23日、再稼働した。地元には、多数の死傷者を出した17年前の大事故の記憶が残る。それでも、原発と共に生きてきた事実は重く、不安と期待が入り交じる中、国内初となる「40年超原発」再稼働の日を迎えた。

「墓参りに行くしかない」

 美浜3号機には忘れてはならない負の歴史がある。2004年8月、2次冷却系の大きな配管が突然破裂して高温の蒸気が噴出、11人が死傷した事故だ。亡くなったのは関電の協力会社の5人。死亡した亀窟(かめいわ)勝さん(当時30歳)の父章さん(71)=徳島県吉野川市=は息子を奪った事故について「怒りはあるが、私のような一般人が3号機を止めてくれというて、止まるもんでもない。せめて教訓を生かしてほしい」と語る。その上で「私自身は息子の墓参りに行くしかない。他に方法があるなら教えてほしい」と無念さをにじませた。他の遺族は取材に対し「話したことは新聞に載せないで」とするなど、複雑な心情がうかがえた。

「二つの不安」があった

 「もう美浜3号機は動かないと思っていた」。反原発の立場を貫く美浜町議の松下照幸さん(73)も戸惑いを隠せない。蒸気噴出事故を契機に町民の原発を見る目が変わり、さらに11年の東京電力福島第1原発事故で安全神話が崩壊すると、「反対派」として敬遠されがちだった自分に多くの町民が声をかけてくるようになった。その後、美浜1、2号機は廃炉に。3号機も安全対策でコストがかかり、使用済み核燃料の処分などの問題も残り、再稼働は難しいと考えていたのだ。

 だが、関電は15年に運転期間の20年延長を申請し、国も認可した。「この10年間、動かないことは事故も起きないことを意味した。この地震大国では『老朽原発』の再稼働でリスクがいよいよ高まってくる」

 原発が「あること」と「なくなること」。町民の間には、この二つの不安があったと、松下さんは言う。「『今』だけを考えると、再稼働することで町には固定資産税や交付金が入り、関係する人には仕事が戻ってくるが、全町民のためにはならない。世界的に原発の時代は終わり、3号機もいずれ運転延長期間が終了する。その前に再生可能エネルギーなどで地域の中でお金が循環する未来をつくりたい」。思いは切実だ。

「待ち望んでいた」の声も

 一方、同原発が立地する美浜町丹生地区の元区長で関電の元協力会社社員の庄山静夫さん(68)は「あの事故は、定期検査の短縮などで、配管の検査をちゃんとしていなかった関電の怠慢だった」と振り返りつつ、再稼働には「あれから関電はずいぶん反省して今は信頼できるし、設備的に問題ないと思う」と話す。10年間、3号機が停止していたことを「炉型が違う福島第1原発事故のとばっちりだ」とし、「この地区では原発作業員を受け入れる民宿もあるし、原発が動き、活発になってほしいと多くの人が待ち望んでいた」と胸をなでおろした。【大島秀利】…

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