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沖縄戦

「鉄の暴風」が吹き荒れた沖縄戦から76年。約3カ月に及んだ地上戦は住民を巻き込み、日米合わせて計約20万人が犠牲となった。

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戦場に11歳ひとり 遺体の間さまよう夢 沖縄戦76年、募る危惧

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親代わりだった伯父の玉城亀さん、カミさん夫婦を追悼し、手を合わせて思いをはせる玉城清輝さん。右は妻の千代子さん=沖縄県糸満市で2021年6月23日午後3時8分、平川義之撮影
親代わりだった伯父の玉城亀さん、カミさん夫婦を追悼し、手を合わせて思いをはせる玉城清輝さん。右は妻の千代子さん=沖縄県糸満市で2021年6月23日午後3時8分、平川義之撮影

 沖縄は23日、「慰霊の日」を迎え、太平洋戦争末期の沖縄戦などで命を落とした人々への追悼の思いに包まれた。砲弾が飛び交う激戦地で親族を次々と失った男性は76年たった今も恐ろしい戦場の夢にさいなまれ、悲しみは癒えることがない。体験者から次の世代へ――。若い世代は戦争の悲惨さを知り、平和な日常のありがたさをかみ締めた。【山口桂子、竹内望、遠藤孝康】

ひとりぼっちの戦場

 当時11歳の少年は人が当たり前のように死んでいった沖縄戦の戦場を一人でさまよった。76年前、那覇市の玉城清輝(たましろせいき)さん(87)は、激戦地となった沖縄本島南部で一緒に逃げ回った親族12人を次々と亡くした。戦前にペルーへ移民として渡った両親に代わって育ててくれた伯父夫婦も犠牲に。「戦争はするもんじゃない」。23日、伯父が亡くなった場所近くの地面に泡盛をかけ、手を合わせた。

 「追われて南部をさまよい歩く夢を見る。左見ても右見ても遺体がある道を」。玉城さんは今も沖縄戦当時の夢を見て跳び起きる。「慰霊の日」を迎える6月になると頻度が増える。

 本島南部の具志頭(ぐしかみ)村(現・八重瀬町)で、親代わりだった伯父の玉城亀さん、カミさん夫婦らと暮らしていた。1945年6月上旬、進攻してきた米軍が南部に迫り、伯父夫婦ら親戚8人で逃げることに。「安全な所に連れて行く」。日本兵にトラックで運ばれ、降ろされた場所は激戦地だった。

 現在の糸満市照屋の河原を歩いていた時、米軍の砲撃を受け、爆風で数十メートル飛ばされた。前を歩いていた亀さんは頭が割れていた。「せいちゃん、んー。わんねー、だめやっさー(私は駄目だ)」。その手はゆっくりと力を失っていった。「おじさんが亡くなったら、僕は誰を頼ったらいいのかと、うんと泣いた」

 溝に移した遺体にすすきをかぶせて石を添え、亀さんが持っていたかつお節や黒砂糖が入った荷物を担いで再び逃げた。…

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