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習志野原今昔物語

習志野原とその周辺の歴史と今、「今昔物語」を、千葉県習志野市文化財審議会会長の山岸良二氏とともに紹介していきます。

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習志野原今昔物語

/1 江戸幕府の軍馬飼育地「小金牧」 将軍家の狩り場にも 明治維新後「軍郷」に変貌 /千葉

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「下総小金中野牧跡」の捕込跡。馬を追い込んで集めた=千葉県鎌ケ谷市東中沢で2021年5月19日、小林多美子撮影
「下総小金中野牧跡」の捕込跡。馬を追い込んで集めた=千葉県鎌ケ谷市東中沢で2021年5月19日、小林多美子撮影

 現在の習志野、船橋、八千代、千葉の4市にまたがる一帯はかつて「習志野原」と呼ばれ、旧日本陸軍の演習地でした。第二次世界大戦の終戦まで陸軍関連の施設が多数立地し、「軍郷」として栄えました。習志野原を命名したのは1873(明治6)年にこの地に行幸した明治天皇。習志野の名を世に知らしめたとされる「習志野騎兵旅団」第一旅団長の秋山好古、硫黄島守備隊の司令官だった栗林忠道ら著名な軍人のゆかりの地ですが、戦後は大学など教育機関が立地する「学都」、そして住宅地として発展しています。習志野原とその周辺の歴史と今、「今昔物語」を、騎兵旅団の跡地にある東邦大付属中学校高校の元教諭で、習志野市文化財審議会会長の山岸良二氏とともに紹介していきます。

 習志野原誕生の前に、第1回はその前史を紹介しよう。徳川家康により江戸に幕府が開かれた当初から、現在の県北西部の台地に広がっていた荒野の一部(その範囲は現在の野田市から千葉市西部までまたがる)は武士団の軍馬飼育の好地として、また武術鍛錬の「鹿狩り」「鷹狩り」場として活用されてきた。これは「牧」と呼ばれ、現在の千葉県には幕府によって小金、佐倉、嶺岡牧という大きな3カ所の放牧区画が設定された。

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