高部知子さん「生きるとはなんぞや」 精神医療の道を探る

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「『生きるとはなんぞや』と問い続けたい」と語る高部知子さん=東京都港区で2021年6月17日、内藤絵美撮影
「『生きるとはなんぞや』と問い続けたい」と語る高部知子さん=東京都港区で2021年6月17日、内藤絵美撮影

 看護師から「抱っこしてもいいですよ」と促されて両腕で長女を抱きしめると、とても温かかった。生後わずか2カ月の長女の心臓には重い疾患があった。出産の翌日から面会はできず、小さな体に負担をかけてはいけないと、抱っこさえ医師から止められていた。

 1991年8月、東京都内の病院。元俳優の高部知子さんは手術室前にいた。23歳の母は、我が子の重さを感じ喜びをかみしめた。

 そう思えたのも一瞬だった。とてつもない恐怖感に襲われた。「手術が終わった後にこの手に抱くのは娘の遺体かもしれない。ぬくもりのある体を抱いているのはこれが最後なのかもしれない」。医師からは難しい手術だと聞かされており、娘はまさに生きるか死ぬかという境界に立たされていた。

 病院では長女の前で一回も泣かなかった。いや、泣くまいと誓った。「それには意味があったんです。私が泣いているうちに娘が死んでしまったらどうするんだ、と。それに、もし娘が最期の瞬間に目にしたものが、お母さんの涙ではだめだと思っていたから……」

 初めて娘の前で泣いた日は覚えている。退院してから約1年がたっていた。「娘をあやしていたらケラケラ笑ってくれて。その笑い声を聞いていたら涙が止まらなくなりました。今でも病院での生活や、娘が笑ってくれた日を思い出して泣くことはあります。でも、それは娘が生きているから、泣けるんです」。そう語る高部さんの目からは「あの日」と同じように涙があふれ出ていた。

病気と闘う子どもたちに歌を届けたいが…

 あれから歳月を重ね、53歳になった高部さんは、20代の娘2人と平穏な生活を送る。それでも時折、手術室に向かう扉の前で長女を抱いた夢を見て、うなされる。

 80年にNHKドラマ「ガラスのうさぎ」でデビューした。80年代に出演したバラエティー番組では、3人姉妹と設定されたグループ「わらべ」の「のぞみ」を演じ、パジャマ姿で歌った「めだかの兄妹(きょうだい)」は大ヒットした。結婚、出産を経て芸能界から離れた。

 小児科病棟では過酷な運命に立ち向かう子どもたちと触れ合った。その中の一人、白血病と闘っていた少女のことが忘…

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