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渋沢栄一を歩く

「日本資本主義の父」と呼ばれ渋沢栄一の生涯を、生まれ故郷・埼玉県深谷市を中心とした取材からたどります。

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渋沢栄一を歩く

/22 清水卯三郎/上 パリ万博の日本人商人 /埼玉

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埼玉県羽生市の正光寺にある清水卯三郎の墓=2021年5月10日、中山信撮影
埼玉県羽生市の正光寺にある清水卯三郎の墓=2021年5月10日、中山信撮影

 渋沢栄一の歩みから少し寄り道し、パリ万国博覧会(1867年)に商人として参加した清水卯三郎(うさぶろう)(1829~1910年)の軌跡を2回に分けてたどる。

     ◇

 清水は武蔵国埼玉郡町場(まちば)村(現羽生市)の出身。江戸の浅草で商売を営んでいた。

 2カ月近い船旅やパリ滞在中、栄一と言葉を交わしたと思われるが、栄一は徳川昭武の世話役、清水は万博会場の担当で、仕事上の接点は少なかったようで、栄一の「航西日記」(共著)に清水は登場しない。栄一は当時27歳、清水は38歳と年齢差があり、立場上も武士と商人の違いがあった。松戸市戸定歴史館(千葉県)の斉藤洋一名誉館長によると、欧州巡歴で栄一が担当した公務日記「英国御巡行日誌」に清水の訪問を受ける場面があるなど、少なくとも2回は会った記録が残っている。

 清水のパリ万博出品物は、刀剣や金銀細工物、錦絵、人形など157箱、金額にして4万2522両。幕府の出展品(189箱、4万7190両)にも匹敵する量だった。清水は、幕府から多額を借り受けて苦労して買い集め、パリに赴いた。

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