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第49回衆院選

岸田文雄首相が衆院選を10月19日公示、31日投開票で実施すると表明。短期決戦の選挙戦となります。

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「旧民主閣僚、一度下がって」 引退・荒井聡氏、政治に託す期待

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2010年6月に発足した菅直人政権の閣僚。菅首相(手前中央)の右後ろが荒井氏=皇居・宮殿北車寄で、小林努撮影
2010年6月に発足した菅直人政権の閣僚。菅首相(手前中央)の右後ろが荒井氏=皇居・宮殿北車寄で、小林努撮影

 民主党政権で国家戦略担当相などを務めた立憲民主党の荒井聡衆院議員(75)=北海道3区=が、今期限りの政界引退を表明した。2度の政権交代を経験した通算8期のベテランは、毎日新聞のインタビューで「民主党政権の失敗の記憶は消えない。あの時の閣僚経験者は一度引き下がるべきだ」と野党の世代交代を期待した。【聞き手・影山哲也、源馬のぞみ(ともに北海道報道部)】

党内ガバナンス、欠けていた

 ――政界引退を決めた理由は?

 ◆野党の政治家は戦場カメラマンに近い。戦場カメラマンは一枚の写真で世の中を動かす。政治家の場合、それは言葉だが、自分の体力の衰えは事実。続けるのは無理だと思った。

 ――次期衆院選の後継候補として、地元支部は長男で学校法人役員の優(ゆたか)氏(46)の擁立を決めました。

 ◆札幌新陽高校長として学校再建に取り組み、進学ではなく、地域の中で生きていく子どもたちの選択肢をどう増やすかに注力していた。政治を一番必要としているのは、格差社会で貧困にあえいでいる人。今後、その人たちに寄り添えるかどうかだ。

 ――旧民主党は、世襲を制限する規定を設けていました。

 ◆立憲民主党を旗揚げして党規約を作る際、枝野幸男代表や福山哲郎幹事長はこの制限を外した。野党にだけハンディキャップを課すのは、私も不公平だと思っていた。

 ――立憲の政党支持率は10%前後にとどまっています。

 ◆党の中堅幹部として、再び政権を取るための基礎的体力や条件をどう整備できるかに頭を悩ませてきた。国民民主党の大半が合流し、まがりなりにも野党勢力が再結集したが、民主党政権の失敗の記憶は消えないものだ。政権を引っ張った菅直人元首相や野田佳彦元首相がまだ強い発言力を持って存在しているので、国民は思い出すのではないか。あの時の閣僚経験者は一度引き下がって、新しい人に次を託すべきだと思う。

 ――短くはありましたが、民主党政権の失敗と成果は?

 ◆霞が関の中央省庁を味方にできなかったのが最大の失敗。党内や政府全体のガバナンスを欠いていた。

 成果は、私が国家戦略担当相の時に「日本経済はデフレ状態だ」と初めて宣言し、農林水産業なども重要な成長分野だとして消費者サイドの経済政策に切り替えたことだ。その後は党に戻り、福島第1原発事故収束のための関連法整備や国会事故調査委員会設置に汗をかいた。これも将来の国民のためになると思い、推進した。

小池都知事の「大化け」期待したけど

 ――政治家の経歴を振り返っていただきます。日本新党から出馬して衆院初当選し、非自民の細川政権が誕生しました。

 ◆私の政治の師匠である四元(よつもと)義隆さん(元三幸建設工業社長)が、平岩外四・経団連会長(当時)らと話をして「政権交代可能な野党を育成しよう」との発想で生まれたのが日本新党。四元さんは熊本の細川護熙(もりひろ)氏、滋賀の武村正義氏、北海道の横路孝弘氏らによる「知事連合」なら、政権を担えると考えていた。

 当時、道知事室長だった私の役割は、横路知事を国政に引っ張り出すことだった。そこは実現しなかったが、日本新党は連立で政権を取り、細川氏が首相、新党さきがけの武村氏が官房長官に就いた。細川政権は政治改革と小選挙区制導入がシングルイシュー(単一論点)だった。

 ――その後、枝野氏らと日本新党を離党し、自社さ連立の村山、橋本両政権に参加します。

 ◆衆院厚生委員会の筆頭理事として薬害エイズ問題に取り組んだ。菅直人厚相(当時)をサポートし、菅さんが原告に謝罪して和解する条件を整えた。被告である国の責任追及は、枝野さんが中心となってくれた。

 ――日本新党で衆院選同期当選した小池百合子・東京都知事をどう見ていますか?

 ◆小池さんは…

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