ナビに突然「西宮球場」 阪急、南海、近鉄…関西の球団が消えたわけ

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1975年、西宮球場で初の日本一となり、胴上げされる阪急の上田利治監督
1975年、西宮球場で初の日本一となり、胴上げされる阪急の上田利治監督

 2021年5月。兵庫県西宮市内の国道171号をマイカーで走っていると、カーナビの「迂回(うかい)路情報」に信じられない文字が現れた。今はなき「西宮球場」――。阪急ブレーブス(現オリックス)に憧れて野球にのめり込んだ私にとっては、あまりに懐かしい響き。時計の針を一気に少年時代に戻された気になった。ただ、こんな疑問もわいてきた。阪急のほかにも南海、近鉄、阪神と、なぜ関西では私鉄がこぞって球団を持ったのか。そして阪神以外は、どうして球場もろとも姿を消してしまったのか。謎めいたナビに導かれるように、跡地に足を運んだ。

 1937(昭和12)年に誕生した西宮球場の最寄りだった阪急神戸線西宮北口駅前は、当然ながら街並みが一変していた。私が阪急戦に足を運び始めた80年代後半、球場に通じる駅南側のロータリーにはバスやタクシーがずらりと並び、飲食店などが軒を連ねた。現在、ロータリーは南北に走る今津線の線路を挟んだ西側に移り、飲食店などが入っていたビルの跡地は広場になっていた。

 駅南東側の景色に、かすかに昔の面影が感じられた。比較的新しい飲食店や住宅が並ぶ中を5分ほど歩き、長屋にある喫茶店「ひさご」に入った。店主の形山千恵子さん(71)に声を掛けると、70年代の黄金期の選手の名前が打順とともにすらすらと出てきた。「1番・福本、2番・大熊、3番・加藤……。みんな試合前にコーヒー飲みに来てくれたわ」。私の脳裏にも、往年のスターたちの姿がよみがえる気がした。

 形山さんが50年ほど前にこの地で店を始めると、やがて体格のいいパン…

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