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毎日新聞朝刊1面の看板コラム「余録」。▲で段落を区切り、日々の出来事・ニュースを多彩に切り取ります。

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谷崎潤一郎の名作…

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 谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう)の名作「細(ささめ)雪(ゆき)」の一節だ。「山奥から溢(あふ)れ出した山津波なので、波頭を立てた怒濤(どとう)が飛沫(ひまつ)を上げながら後から後からと押し寄せて来つつあって、あたかも全体が沸々(ふつふつ)と煮えくり返る湯のように見える」▲これは1938年7月、約700人の死者・行方不明者を出した阪神大水害における六甲山系からの土石流の描写である。誰しもここ数日のテレビ映像を連想しよう。このころは「土石流」という言葉はなく、「山津波」と呼ばれた▲当時、阪神地区の住人だった谷崎は後年、静岡県の熱海・伊豆山に住んだ。その旧居から西へ約1キロの逢初川(あいぞめがわ)沿いに駆け下った今回の土石流である。「山津波」「蛇抜(じゃぬ)け」といった古くからの恐ろしげな名前そのままの凄絶(せいぜつ)さだった▲現場では泥にまみれながらの捜索活動が続いているが、発生から数日を経てもなお巻き込まれた安否不明者の概数すらはっきりしない。自治体が所在確認できていない住民は当初公表された「約20人」の何倍にものぼっているという▲今は一人でも多くの方の救出を祈るしかないが、一方でこの巨大土石流と現場上流の開発や残土廃棄などとの関連を疑う声が上がっている。静岡県は開発による盛り土の大量流出を指摘しており、今後詳しく検証されることになろう▲阪神大水害の土石流は江戸時代からの六甲山系の森林破壊や砂防政策の遅れが原因とされた。気候変動で過去にない豪雨も覚悟すべき今日、徹底検証して絶たねばならない人の手による惨禍の根である。

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