「承久の乱」から800年 古戦場跡地が多目的広場へ 岐阜・可児

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多目的広場に設置された承久の乱古戦場「大井戸の戦い」の解説版を眺める男性=岐阜県可児市土田で2021年6月26日、立松勝撮影
多目的広場に設置された承久の乱古戦場「大井戸の戦い」の解説版を眺める男性=岐阜県可児市土田で2021年6月26日、立松勝撮影

 後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうと挙兵した「承久の乱」(1221年)から今年で800年。木曽川決戦の火ぶたを切った古戦場の「大井戸」は岐阜県可児市土田にあり、市は古戦場跡地として多目的広場の建設を進めている。すでに「大井戸の戦い」の解説板やベンチ、時計塔が完成し、今後トイレや周辺道路の整備を進め、来春の本格オープンを目指している。【立松勝】

 鎌倉幕府の正史「吾妻鑑(あづまかがみ)」によると、承久の乱は鎌倉幕府を開いた源頼朝と、跡継ぎの頼家、実朝の源氏将軍3代が没した後、後鳥羽上皇が幕府の実権を握る執権・北条義時(よしとき)を討つために挙兵した内乱。合戦で敗れた朝廷は権威を失い、後鳥羽、土御門、順徳の上皇3人が島へ流され、北条氏政権が本格化した。その後、武家政治は明治維新まで約650年続き、「承久の乱」が歴史の転換点となった。

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