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女子バレーに新風 JT・吉原知子監督「お茶してきなさい」の真意

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JT監督の吉原知子さん=JT提供
JT監督の吉原知子さん=JT提供

 女子バレーといえば「東洋の魔女」を育てた「鬼の大松」こと大松博文監督や、アニメ「アタックNo・1」などで、スパルタ指導や「スポ根」のイメージが強かった。しかし、それは遠き昭和の残像だと思わせる新しい風が、令和の女子バレー界に吹いている。下部に低迷する実業団チームを1年で昇格させてVリーグ1部(V1)2連覇という、まるでマンガのような偉業を成し遂げたJTの吉原知子監督(51)。彼女の就任直後の指示は「みんなでお茶してきなさい」だった。【大阪本社運動部長・辻中祐子】

波瀾万丈だった現役時代

 最初に、吉原さんの歩みを簡単に振り返っておく。中学1年でバレーを始め、北海道・妹背牛商高3年で早くも全日本代表に選ばれた。卒業後は名門・日立に入社し、1992年バルセロナ五輪に出場するなど、中心選手として活躍した。

 しかし94年、プロ化を巡る騒動の影響で大林素子さんとともに解雇される。海外移籍を余儀なくされ、翌年には日本人初のプロ契約選手としてイタリアのセリエAに挑戦した。

 日本復帰して96年のアトランタ五輪に出場するも、99年には「今後は若手主体で」という協会の方針によりシドニー五輪代表候補から漏れた。この時29歳。ベテラン扱いされるには早すぎる年齢だった。若いチームは女子バレー史上初めて五輪出場を逃した。

 悔しさを晴らすかのように2000年シーズンに当時いた東洋紡を優勝させ、リーグMVPを獲得。アテネ五輪に向けて体制が変わると、「チームをまとめるのは吉原しかいない」と再招集され、主将として全日本を再建し、五輪切符をつかんだ。

 現役時代をひと言で表せば「波瀾(はらん)万丈」だった。90年代後半、バレーを取材していた私の吉原さんの印象は「強い人」。厳しい状況の時でも、常に前をまっすぐ見ていた。

 昨年、JTの優勝報告の場で20年以上ぶりに対面して、「少し変わったな」と思った。毅然(きぜん)とした雰囲気は相変わらずだが、選手と接する姿には包容力も感じた。自分とほぼ同世代の女性という親近感もあり、「どうやってここまで来たのだろう」と興味が湧いていた。

「ド素人」からの監督就任

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【第70回黒鷲旗バレー】

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