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在朝被爆者という「棄民」 フォトジャーナリスト、伊藤孝司さんが写真展で伝える

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会えない母への思いを語る、広島で被爆した李桂先さん(伊藤孝司さんが監督を務めた映画「ヒロシマ・ピョンヤン」より)=平壌で2009年4月11日、伊藤孝司さん撮影
会えない母への思いを語る、広島で被爆した李桂先さん(伊藤孝司さんが監督を務めた映画「ヒロシマ・ピョンヤン」より)=平壌で2009年4月11日、伊藤孝司さん撮影

 数十万を数える原爆被爆者のうち、現在も政府の支援の枠の外に置かれた人たちがいる。戦後になって北朝鮮に渡った在朝被爆者だ。「人道支援が必要なのに、国家間の事情で事実上の棄民となった人たちなのです」と語るのは、足かけ40年近く取材してきたフォトジャーナリスト、伊藤孝司さん(69)である。広島と長崎は間もなく76回目の原爆忌を迎える。

 広島や長崎で被爆し、その後海外に住むようになった人は在外被爆者と呼ばれる。厚生労働省によると、その大半は韓国に渡った人たちだが、米国などに移住した日系人らも含まれる。このうち、被爆者健康手帳が支給された人には被爆者援護法に基づいて医療費や健康管理手当などが支給されている。治療のための渡日支援なども進む。こうした人は2021年3月末時点で約2785人という。

 伊藤さんがこう話す。「広島も長崎も軍需工場が集まっており、朝鮮半島から動員されるなどした人々が多数被爆したことは分かっていますが、その正確な数は今も把握されていません」。韓国の被爆者団体である韓国原爆被害者協会は、広島と長崎の被爆者のうち朝鮮半島出身者は計約7万人に上り、うち約4万人が死亡、約2万3000人が戦後、朝鮮半島に帰国したと推計している。

 伊藤さんは韓国に戻った被爆者の取材を1985年から始め、98年より在朝被爆者も追いかけるようになった。取材での訪韓は47回、訪朝も43回。「紙面にスペースがあるのなら、私の顔写真より在朝被爆者の写真の掲載を」という人である。

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