「どれだけ言葉重ねても足りぬ」池袋暴走、遺族が法廷で語ったこと

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
閉廷後に記者会見する松永拓也さん=東京・霞が関の司法記者クラブで2021年7月15日午後5時43分、竹内紀臣撮影
閉廷後に記者会見する松永拓也さん=東京・霞が関の司法記者クラブで2021年7月15日午後5時43分、竹内紀臣撮影

 旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(90)の15日の東京地裁公判で、松永拓也さん(34)の意見陳述は次の通り。

1 はじめに

 私は、松永真菜の夫であり、松永莉子の父でもある松永拓也です。あの事故により、突然一人残されてしまいました。本日は、命を奪われた妻と娘がどんな人だったか、私にとってどれほど大切な存在だったのか。どれほど愛し、幸せだったのかについてお伝えします。

 本来は、いくら時間を頂いても、どれだけ言葉を重ねても足りません。ですが、懸命に生きて輝いていた31歳の女性と、たった3年しか生きられなかった女の子のことを、どうか知っていただきたいです。そして、どん底に突き落とされた遺族の悲しみや葛藤と、被告が無罪を主張することに対する苦悩をお伝えします。そして、飯塚幸三被告に対し、法律で与えられる範囲で最大の刑罰を与えていただきたく、意見を述べます。

2 妻 松永真菜について

 妻である松永真菜のことは、いつも「真菜」と呼んでいましたので、この場でも「真菜」と呼びます。真菜とは、平成25年、沖縄の母方の親族の集まりで出会いました。私が27歳、真菜が26歳でした。2人で夕食を共にすることになり、待ち合わせで出会った瞬間に、とても美しい人だと思い、私は一目ぼれしました。真菜は寡黙な性格でしたが、食事中ずっと私の話を笑顔で聞いてくれました。

 温かく穏やかな真菜の人柄にひかれ、東京に帰ってからも毎日電話をし、月に2~3回は東京から沖縄に会いに行きました。さまざまな観光地や島巡りをし、これ以上ないほどに楽しい日々でした。今でも色あせない大事な思い出です。真菜は…

この記事は有料記事です。

残り7085文字(全文7771文字)

あわせて読みたい

ニュース特集