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沖縄戦

「鉄の暴風」が吹き荒れた沖縄戦から76年。約3カ月に及んだ地上戦は住民を巻き込み、日米合わせて計約20万人が犠牲となった。

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父を亡くし、銃撃に身を潜めた76年前 おばあとたどる沖縄戦の記憶

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米軍の攻撃から逃げ惑った真壁地区を訪ねた宮城ヒロ子。正確な場所は覚えていないが、石垣のそばに隠れて銃弾から身を守ったという=沖縄県糸満市で2021年6月15日午後1時44分、喜屋武真之介撮影
米軍の攻撃から逃げ惑った真壁地区を訪ねた宮城ヒロ子。正確な場所は覚えていないが、石垣のそばに隠れて銃弾から身を守ったという=沖縄県糸満市で2021年6月15日午後1時44分、喜屋武真之介撮影

 「記憶を風化させてはいけない」。戦争の話を記事にする度に私(記者)はそう書いてきた。だが、そんな自分自身が家族の戦争体験に耳を傾けてこなかった。残された時間は少ない。戦後76年の夏、太平洋戦争末期の沖縄戦を生き抜いた2人の「おばあ(祖母)」の記憶に初めて向き合った。

 6月中旬、沖縄県宜野湾市出身で現在は北九州市で勤務する私は、実家にいる父方のおばあ、宮城ヒロ子(83)=旧姓・伊波(いは)=を訪ねた。おばあは宜野湾市嘉数(かかず)の集落に7人きょうだいの末っ子として生まれ、約9万4000人(推定)の一般住民が激しい攻撃に巻き込まれて命を落とした1945年の沖縄戦を体験した。当時7歳だった。

 だが、いざ話を聞こうとしても、戦時は小学校低学年に当たる年齢だったおばあの記憶は断片的。細かい話を聞いても「分からんよ」と繰り返した。もっと早くに聞くべきだった。そう悔やんだ。

 思案し、沖縄戦でおばあと共に避難した姉、石川ハツ子(89)を訪ね、「76年前」を一緒にたどることにした。当時13歳で、おばあのことを「フンデー(わがまま)で、戦時中の食料調達は全部、私の役目だった」と思い出す姉の話に、おばあは少しずつ当時を思い起こしていった。

   ◇  ◇   

 米軍は45年4月1日に沖縄本島中部に上陸。数日後には集落近くまでに迫り、おばあは50代の父、40代の母、きょうだい、親戚の計18人で避難を始めた。「戦(いくさ)がここまで来ているよ」。そう叫んでおばあたちを追い抜いていった中年男性が、日本軍が設置した地雷を踏んで亡くなったのを目撃。それが初めて目の当たりにした人の死だった。

 約10カ所のガマ(自然の洞窟)や壕(ごう)を転々とした。空襲で陥没した地面にたまった雨水を飲み、カタツムリを食べて飢えをしのいだ。昼は隠れ、…

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