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沖縄戦

「鉄の暴風」が吹き荒れた沖縄戦から76年。約3カ月に及んだ地上戦は住民を巻き込み、日米合わせて計約20万人が犠牲となった。

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投降し生きた3姉妹 同級生の記憶に涙 おばあとたどる沖縄戦の記憶

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旧日本軍の指示で陣地まで弾薬を運ばされた道に立つ大嶺節子=沖縄県中城村で2021年6月13日午後4時21分、宮城裕也撮影
旧日本軍の指示で陣地まで弾薬を運ばされた道に立つ大嶺節子=沖縄県中城村で2021年6月13日午後4時21分、宮城裕也撮影

 「おばあの話は長いよー」。沖縄県宜野湾市出身の私(記者)が太平洋戦争末期の沖縄戦の体験を聞こうと訪ねると、母方の「おばあ(祖母)」はそう切り出し、76年前の記憶をたどり始めた――。

 沖縄戦が始まる半年前の1944年秋ごろ、米軍の上陸に備え、日本軍は陣地構築を急いでいた。現在の北中城(きたなかぐすく)村に住んでいた当時14歳の大嶺節子(91)は、同じ集落の同級生らと共に弾薬運びに動員された。

 日本軍の部隊があった中城城(中城村など)から約10キロ先の嘉数(かかず)高台(宜野湾市)の陣地まで1日2往復、弾薬入りの木箱を2人がかりで運んだ。米軍機が見えると伏せ、艦砲(軍艦による砲撃)におびえながら歩を進めた。

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