渋沢栄一を歩く

/15 経済の3改革/上 年貢米の販路拡大 /東京

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 農兵募集の成功で徳川慶喜に認められた渋沢栄一は、一橋家内で急速に重用されるようになった。

     ◇

 その傍ら、栄一自身は「兵事は自身適当の仕事ではない」「兵制を説くよりは理財の方がまだしも長所である」と、経済への関心を強めていく。

 備中、播磨、摂津、和泉の各国を巡った栄一は、各地で特産物の販売方法などを見聞した。栄一の目には、現状にさまざまな工夫を加えれば、一橋家の財政を豊かにし、領民の暮らしもより豊かにできるのではないかと映った。

 故郷の血洗島村(現埼玉県深谷市)を治めていた岡部藩は、特産だった藍玉の製造販売事業に自らは乗り出そうとはせず、栄一の生家「中の家(なかんち)」などの富農が創意工夫して得た利益の一部を「御用金(ごようきん)」として吸い上げていた。徳川将軍家御三卿(ごさんきょう)の一つで岡部藩より恵まれた立場の一橋家でも、経済事業への関わり方は基本的に同じだった。商いや金もうけを卑しいものとするのが当時の武士階層の…

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