7歳で逝った初恋のあなたへ 20年贈り続けるチョコレート

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明石歩道橋事故で亡くなった有馬大さん(左)。広野茉衣さん(右)と仲良しだった=広野さん提供
明石歩道橋事故で亡くなった有馬大さん(左)。広野茉衣さん(右)と仲良しだった=広野さん提供

 優しくて、明るくて、いつも笑顔のあなたが好きだった。20年前の夏、あなたは花火大会に行く途中で、折り重なるように倒れた群衆にのまれた。わずか7歳で終えた人生。今も、私の中ではあなたが生きて、成長し続けている。だから毎年バレンタインデーにはチョコレートを贈り続ける。それが私ができるただ一つのことだから。

 1998年、広野茉衣(まい)さん(27)は地元の兵庫県明石市の幼稚園で、有馬大(だい)さんと出会った。泣いている友達がいたら声をかけ、転んでいる友達がいたら手を差し伸べる。そんな大さんの周りには自然と人の輪ができた。一緒に泥団子を作り、鉄棒で遊んだ。帰宅後も互いの家を行き来した。バレンタインのチョコを渡したのは、父以外で初めてだった。「大ちゃんと一緒にいたいな」。広野さんは幼心に、そんな淡い思いを抱いていた。

 小学校に入学した後はクラスが別々になり、話す機会も減った。2001年2月のバレンタインデー。大さんにチョコをあげようと思ったが、以前より疎遠になった寂しさから「また来年でいいや」と投げやりになり、渡さずじまいだった。その5カ月後、あの事故が起きた。

 7月21日夜、明石市の大蔵海岸で夏祭りの花火大会が開かれた。大さんは父正春さん(62)、母友起子さん(51)、姉千晴さん(当時9歳)と一緒に家を出た。大好きな夜店で使おうと、1円玉も含めて全てのお小遣いを持ってきた。

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