「悔いなく命と向き合って」 乳がんと向き合い続けた三輪記者の歩み

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
職場で同僚と取材の打ち合わせをする三輪晴美記者=毎日新聞東京本社で2014年8月、西本勝撮影
職場で同僚と取材の打ち合わせをする三輪晴美記者=毎日新聞東京本社で2014年8月、西本勝撮影

 がんステージ4と診断された自身の体験をつづり、がんに関する取材を続けてきた毎日新聞大阪本社学芸部の三輪晴美記者が5月、56歳で死去した。病が判明したのは2008年。仕事をこなす傍ら通院を続け、長期休暇には大好きなパリ旅行を重ねるなど趣味も楽しんできた。記者が執筆した記事を振り返りながらその歩みを報告する。【山田麻未、岸桂子、中本泰代】

「世界は何て美しいんだろう」

 三輪記者が初めて書いた記事は09年。本紙朝刊くらしナビ面に「がんを生きる ここに在る幸福」のタイトルで、骨転移を伴う乳がんだとわかった時から治療・静養を経て約1年後に職場復帰するまでをつづった。当時は、東京本社出版局(当時)に所属する書籍の編集者だった。

 <「がん、ですか?」と聞いた私に、医師はただ静かにうなずいた。これが告知の瞬間だった。

 診察室を出て、とりあえず待合室の椅子に座った。ダクトがはう古びた壁を見ながら、「世界は何て美しいんだろう」と思った。絶望でもない、悲しみでもない。そのときの気持ちは、今でも言葉にするのが難しい。(09年11月17日)>

 14年、編集局生活報道部(当時)へ異動し記者職に。担当となった料理は元々関心が高く、食に関する雑誌を担当した経験もあったので、料理研究家ら取材先ともすぐに打ち解けた。

 同時に、体験記で終わっていたがん関連の取材も始める。病院選び、治療法の見極め方、医師との付き合い方、緩和ケアなど、患者の役に立つ情報をまとめようと心がけた。後輩記者らとチームを組んで連載「がん社会はどこへ」を手がけた際は、抗がん剤や治療にまつわる誤った情報が拡散していることへの懸念を時折口にした。「がんは放置すべし」などと主張する専門家らを取材し紙面で厳しく断じた。

 <がんになっても人生は一度きりだ。…

この記事は有料記事です。

残り3295文字(全文4047文字)

あわせて読みたい

この記事の筆者
すべて見る

注目の特集