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小説「無月の譜」

将棋の駒をめぐる探求の物語。失われた名品の駒を求め、ある挫折感を抱えた男が旅に出ます。作・松浦寿輝さん、画・井筒啓之さん。

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小説「無月の譜」

/225 松浦寿輝 画・井筒啓之

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 八月十日の夕刻、竜介の乗った飛行機はシンガポールのチャンギ空港に着陸した。竜介にとっては初めての外国なので、入国審査を抜け、構内を抜けてタクシー乗り場に辿(たど)り着いたあたりまでは不安と興奮で胸がどきどきしていた。しかし、いざタクシーに乗りこみ、予約したホテルへ向かって車が走り出すと、車窓から見える光景に、東南アジアという言葉から何となく想像していた、混沌(こんとん)だの貧困だのといったものがいっさいなく、清潔な街路と立派なビル群が続くことに、何となく拍子抜けしてしまった。シンガポールは近代化された豊かな国なのだ。

 シンガポールはエスニック・タウンが面白いと聞いていたので、竜介はリトル・インディアと呼ばれる一郭にある中級ホテルに部屋をとっていた。着いてみるとそれは五、六階建てのかなり古びた建物で、せっかくならもう少し豪華なホテルにしておけばよかったかなと後悔したが、チェック・インして通された三階の部屋は、簡素だが小綺麗(こぎれい)で、おれなんかはこの程度が分相応だと思い直した。ともかくけっこう広いのが有難(…

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