商業主義と現代五輪 鼎談書評『オリンピックという名の虚構』

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
「オリンピック」をテーマにした鼎談書評で紹介された3冊
「オリンピック」をテーマにした鼎談書評で紹介された3冊

 有識者3人が書籍を通して「五輪」を考えた鼎談(ていだん)書評。3回目は現代の五輪がはらむ課題がテーマとなった。書籍は文化社会学とジェンダー論が専門の伊藤公雄・京都産業大教授が推薦する『オリンピックという名の虚構 政治・教育・ジェンダーの視点から』(ヘレン・ジェファーソン・レンスキー著、井谷惠子・井谷聡子監訳、晃洋書房)。西洋史学者の本村凌二・東大名誉教授、国際政治学者の岩間陽子・政策研究大学院大学教授とともに、今夏の東京五輪への思いも語った。司会は芥川賞作家の池澤夏樹さん。【学芸部】

ヘレン・ジェファーソン・レンスキー著、井谷惠子・井谷聡子監訳、『オリンピックという名の虚構 政治・教育・ジェンダーの視点から』(晃洋書房・2970円)

【推薦者:京都産業大教授・伊藤公雄さん】

人種、ナショナリズムの衝突の歴史

 五輪そのものに真っ向から異議を唱えた本を取り上げたい。著者はカナダのトロント大名誉教授の女性で、スポーツとジェンダー研究、スポーツとセクシュアリティーの研究の第一人者。トロントが開催の候補都市となった1996年五輪(実際の開催地はアトランタ)の分析を通じ、スポーツのメガイベントが社会に与える影響について研究を始めたという。五輪の歴史を踏まえ、ジェンダーやセクシュアリティーの視点も入れてよくまとまった批判のテキストだと思います。

 長らくさまざまな形で批判を受けている五輪だが、『ベルリン・オリンピック1936 ナチの競技』(白水社)にもあったように、特に36年のベルリン大会は、「スポーツの政治利用」が大きな問題になりました。そして第二次世界大戦後の特徴と言えるのが、女性の参画です。近代五輪の始祖、クーベルタン男爵は元々、五輪は男性のための祭典だと主張し、1896年の第1回アテネ大会で女性選手の参加は禁じられていたほどです。それが1976のモントリオール大会で女性選手の出場する種目数が、男性の半分ほどになった。選手の数も今や、男性の方が多いがほぼ半分ずつになっています。

 国境も国旗もない、個人の栄誉のみがそこにあるというのが五輪の理念のはずですが、実際の五輪は会場に国旗がはためき、国歌が高らかに歌われ、ナショナリズムの謳歌(おうか)が常に見て取れます。五輪の歩みは人種やジェンダー、ナショナリズムの衝突の歴史でもあったという話が、本書には詳しく描かれています。

 キーワードとして「スポーツウオッシング」という言葉も紹介されます。権威主義的な体制が、悪化した社会的な評判をスポーツによって洗い流そう、覆い隠そうとするという意味です。私たちが今回の東京五輪を考える際にも、このスポーツウオッシングという視点は非常に重要だと思います。

 さらに今の五輪は、…

この記事は有料記事です。

残り3017文字(全文4154文字)

あわせて読みたい

ニュース特集