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名将の遺伝子を継ぐ侍ジャパン稲葉篤紀監督 描く理想の指導者像

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2019年11月の国際大会、プレミア12で優勝し、グラウンドを一周する日本代表の稲葉篤紀監督(手前)。東京五輪で再び世界の頂点に挑む=東京ドームで2019年11月17日、大西岳彦撮影
2019年11月の国際大会、プレミア12で優勝し、グラウンドを一周する日本代表の稲葉篤紀監督(手前)。東京五輪で再び世界の頂点に挑む=東京ドームで2019年11月17日、大西岳彦撮影

 2017年11月16日の東京ドーム。初陣となるアジアプロ野球チャンピオンシップの韓国戦を控えた野球日本代表「侍ジャパン」の稲葉篤紀監督(48)の足は震えていた。プロ野球通算2167安打をマークし、数々の国際大会でも活躍してきたが、それほど「ジャパン」を率いる重圧は大きかった。プロ野球での指導者経験がないまま就任してから4年。自国開催の東京オリンピックでの金メダル獲得という重責を担った指揮官が壮大な夢の総仕上げに挑む。

 稲葉監督の就任が発表されたのは17年7月。選手として08年北京五輪や09、13年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場し、現役引退後は打撃コーチとして日本代表に携わってきた「豊富な国際経験」が大役を任された理由だった。監督経験がないことを不安視する声もあったが、本人は就任記者会見で「不安もあったが、五輪に向けて自分自身が何をやっていけるかという思いが上回ったので引き受けた」と力を込めた。

 五輪の金メダルは憧れ続けたものだった。08年7月16日。北京五輪の代表メンバー発表の前日に右臀部(でんぶ)を痛めていた稲葉監督の電話が鳴った。相手は日本代表の星野仙一監督だった。「出たいんか、出たくないんか。どっちや」「出たいです」。短い会話が出場の決め手になった。「金メダルを取れるなら、自分の体が…

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