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64年五輪で変貌した東京 2度目の大会が浮き彫りにした都市の問題

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日本橋の上に架かる首都高速道路を見上げる、「名橋『日本橋』保存会」会長の中村胤夫さん=東京都中央区で2021年7月16日午後3時12分、黒川晋史撮影
日本橋の上に架かる首都高速道路を見上げる、「名橋『日本橋』保存会」会長の中村胤夫さん=東京都中央区で2021年7月16日午後3時12分、黒川晋史撮影

 戦後復興の象徴として記憶されている、1964年の東京オリンピック。大会を境に、高速道路や下水道など、都市環境は劇的に変化した。経済発展や利便性の向上が最優先だった時代から半世紀余り。2度目の東京五輪を迎えた今、都市を巡る状況を振り返ってみたい。

 64年五輪の開催が決まったのは59年。当時は本格的な車社会の到来で深刻な交通渋滞が懸念されていた。放置すれば五輪関係者の移動にも混乱が生じかねない。そこで渋滞緩和を目指して計画されたのが首都高速道路だった。

 用地買収の手間を省くため川や道路の上に高架を通す「空中作戦」など、五輪に間に合わせるために奇策も使って工期を短縮し、首都高は59年の基本計画決定からわずか5年間で4路線32・8キロが完成。五輪競技会場や羽田空港を結ぶ動脈として大会を支えた。東京のシンボルの一つ「日本橋」の上を通るルートも、空中作戦の産物だった。

 「我々が日本で初めての都市内高速道路を完成させる、との気概を持って仕事をしていた。『早く作れ』という社会全体の応援を感じた」。今年6月の建設関係の団体の講演会に、旧首都高速道路公団の技術者だった大内雅博さんは亡くなる直前、こんなメッセージを寄せた。都市の発展を願う世相と技術者の熱意が重なって、首都高建設は進んだ。

 ただし、急激に変貌する街の姿に、違和感を抱く人もいた。

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