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よみがえる田中正造

「日本初の公害」といわれる足尾銅山鉱毒事件の解決のために奔走した政治家、田中正造。その足跡をたどります。

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よみがえる田中正造

死の川に抗して/43 古河市兵衛編/1 貧しさに誓った立身出世=中村紀雄 /群馬

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古河市兵衛=国立国会図書館デジタルコレクションより
古河市兵衛=国立国会図書館デジタルコレクションより

 古河市兵衛は1832(天保3)年、京都・岡崎で父大和屋長右衛門、母みよの次男として生まれ、幼名は巳之助であった。1858(安政5)年に古河太郎左衛門の養子となって、名を古河市兵衛と改めた。

 天保13年のある日、京の町を一人の少年がてんびん棒を担いで豆腐の行商をしていた。11歳の巳之助であった。天保年間(1830~1844)といえば幕政はいよいよ行き詰まり飢饉(ききん)や天変地異が頻繁に起り、外国船が近海に出没し鎖国を脅かすに至っていた。巳之助少年が逆境にあって強い上昇意識を持ったのは当時の時代背景及び生い立ちと強い関わりがあったのである。7歳で生母が死に、継母に虐待されたという実情も利かん気の巳之助の心に火をつけた一要素だったであろう。

 ある時豆腐を売っていて、巳之助は身分が低いために自尊心を大変傷つけられる耐えられない目にあった。そこで一大決心をした彼は鞍馬山の毘沙門天に立身出世を祈願した。夜の鞍馬山はぞっとする程不気味だったと後年ふり返っている。その後巳之助の人生に大きな影響を与える2人の人物が現れる。1人は田中正造であり、もう1人は渋沢栄一である。運命の不思議と言わざるを得ない。3人は共に天保の生まれで同じ時代の激浪にもま…

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