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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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墓場まで消えぬ「子不孝」 積年の苦悩を句に 西久保キクノさん

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亡くなった長男秀紀さんの写真を見ながら思いを語る西久保キクノさん=佐賀市で2021年7月16日午後3時42分、樋口岳大撮影
亡くなった長男秀紀さんの写真を見ながら思いを語る西久保キクノさん=佐賀市で2021年7月16日午後3時42分、樋口岳大撮影

 逝(ゆ)きし子に詫(わ)びても足りぬ原爆忌――。

 この春、高齢のため長年入っていた句会を退会した西久保キクノさん(95)=佐賀市=は、最後の合同句集に自責の一句を寄せた。看護師だった76年前、被爆者を救護するため原爆投下直後の長崎市に入った。それが長男の早世につながったのではと、今も我が子に謝り続ける。

 米軍が長崎に原爆を投下した1945年8月9日、当時19歳の西久保さんは佐賀市の陸軍病院で働いていた。長崎へ救護に向かうよう命じられ、翌日、汽車で爆心地から約3・5キロ北の道ノ尾駅へ。駅前でむしろに寝かされていた被爆者らを救護した。終戦の15日まで焼け野原を歩いて学校や防空壕(ごう)を回り、頭にウジがわいて痛がる男性のウジを取ったこともあったが、男性は間もなく亡くなった。

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