闘争の記憶、社会築く「躓きの石」 「きみが死んだあとで」代島監督

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代島治彦監督=埼玉県熊谷市で2021年7月26日、隈元浩彦撮影
代島治彦監督=埼玉県熊谷市で2021年7月26日、隈元浩彦撮影

 いま、最も注目されている映像作家であろう。今春から生まれ育った地、埼玉県熊谷市で定住生活を始めた代島治彦監督(63)である。学生反乱の季節を描いた最新作「きみが死んだあとで」は、「ずしんと腹にこたえる映画だ」(社会学者の上野千鶴子氏)など称賛の声が上がっている。それにしてもなぜ、血の記憶に封じ込められたかに見える、あの時代にこだわるのか。そして故郷に寄せる複雑な感慨の一端を聞いた。【隈元浩彦】

ふるさと熊谷に「移住」

 ――「きみが死んだあとで」は1967年10月、東京・羽田で当時の佐藤栄作首相が南ベトナムに向かうのを阻止しようとした学生たちと、機動隊が衝突した「第1次羽田事件」をテーマに据えた作品ですね。

 ◆京都大生の山﨑博昭さんが殺害され、学生運動が過激化する転機になりました。あの時代、僕よりも10歳ほど上の「団塊の世代」の若者たちがなぜ、あそこまで熱くなったのか。山﨑さんの高校時代の同級生ら14人の証言をもとに探ると同時に、あの世代の影響を受けた僕自身を見つめ直す映画なんです。

 ――学生運動の過激化が、今に続くしらけた時代、そして政治への無関心につながっている気もします。

 ◆同じ問題意識です。ただ、あの時代をリンチ殺人、内ゲバといった言葉だけでくくって「愚かしい」と断罪して終わりでいいのかとも思うのです。山﨑さんの時代まで、若者が希望や理想を語ることは、光り輝いていた。ところが…

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